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NO.695  2021.12.12

「アドベント:キリストを迎える備え」

 

ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカの福音書2:6-7)

 

先週、お二人の兄弟姉妹が主の御許に召されて行かれました。お一人は新潟の佐藤敏姉妹です。86歳でした。また、お一人は京都の長谷川清一兄弟です。90歳でした。お二人ともクリスチャンの子どもさんの祈りで信仰に導かれ、まさに天国への凱旋でした。お二人とも最後は病気との闘いを続けておられましたが、イエス様を救い主と信じ、天国への備えをされて、御国に導かれていかれたのです。
今週は、アドベントの第三週です。キリストを待ち望む時ですが、それはまた同時に、キリストを迎える備えをする時でもあります。キリストを迎える備えをするということはどういうことでしょうか。教会や家をイルミネーションできれいに飾り、クリスマスの雰囲気を醸し出すことでしょうか。あるいは人々を招いて、クリスマスディナーを楽しみ、みんなでクリスマスをお祝いすることでしょうか。もちろん、それらも悪いことではありませんが、キリストを迎える備えは、私たちとキリストとの関係をもう一度見直すところから始まるのです。
イエスキリストが誕生された場所は飼葉桶でした。普通ならそのような場所に誰も子どもを産みはしないでしょう。しかし、イエスは牛や馬が食べる冷たい石造りの飼葉桶に産み落とされたのです。なぜでしょうか。聖書は「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」と記しています。人口調査のために郷里に帰ってきた人たちでごった返しており、満室状態だったのです。
そこに描かれているのは、マリアの身重の体を気遣うどころか、自分たちのことで精一杯の状態の人たちです。忙しさのあまり、生まれる子のために場所を用意する優しさも、いたわりも持ちえない人たちでした。私たちのところに来られたのに、私たちはイエスを受け入れる場所を持ちえない。そんな状況が描かれているのです;。
では私たちはどうでしょうか。イエスを迎える備えはできていますか。あなたの心を支配している思いは何でしょうか。経済的不安ですか。将来ことですか。人間関係の問題でしょうか。家族の悩みでしょうか。私たちの心を支配する案件には事欠きません。それらの関心事が、頭や心を支配していて、肝心なキリストへの思いが横に置かれてはいないでしょうか。
キリストを迎える備えとは、先ず私たちの意識をキリストに向けることです。キリストとの交わりを今こそしっかりと確立することです。キリストは私たちに何を願っておられるのかを思いめぐらすことで、キリストを迎える備えをすることができるのです。悔い改めることがあれば積極的に悔い改め、キリストを心の中心に迎えましょう。
社会の常識や周りの価値観に振り回されず、キリストが私たちに願っておられることにフォーカスをいたしましょう。また、聖書の言葉を以下に生活化するか。それこそ私たちがキリストを迎えるための備えとなるのです。

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