閉じる

NO.693  2021.11.28

「アドベント:信じる心を培う」

 

その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。(ルカの福音書1:20b)

 

今日からアドベント(待降節)が始まります。キリストの降誕を待ち望む一か月です。講壇には4本のろうそくが掲げられ、毎週一本ずつともしていくことをいたします。単なる儀礼的な行為ではなく、ともされるともしびは私たちにとって信仰と希望のともしびであることを覚えたいと思います。
私たちの暗い心に神様はイエスキリストを通してともしびをともしてくださる。そのことを信じたいと思います。今日の最初のともしびは「信仰のともしび」です。
ルカの福音書はイエスキリストの誕生を記す前に、その道備えをするバプテスマのヨハネの誕生を記しています。バプテスマのヨハネはザカリヤという祭司と妻エリサベツとの間に生まれた子どもでした。イエスの母マリヤとエリサベツは親戚関係にあり、半年後に誕生するイエスとは従弟(いとこ)同士ということになります。
ザカリヤとエリサベツは長年子供を欲していましたが、それはかないませんでした。二人ともすでに年を取っており、もう子供はあきらめている状況でした。
ザカリヤは祭司としての務めの当番が来たので、香をたくために神殿に入ったときでした。突然、主の使いが表れてザカリヤに語り掛けたのです。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツはあなたに男の子を生みます。その名をヨハネとつけなさい。」と語り、さらに「その子は主のみ前に大いなるものとなり、イスラエルの子らを神である主に立ち返らせ、」「エリヤの霊と力で、主に先立って歩みます。」「父たちの心を子どもたちに向けさせ、不従順な者たちを義人の道に立ち返らせて、主のために、整えられた民を用意します。」と語られたのでした。
ザカリヤはそのことをにわかに信じられず、「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年を取っています。」と応答するのでした。現実を考えれば、それはもう無理なことのように思えたのもわかる気がいたします。長年願ってきたけど、生まれなかった。もう自分たちにはできない。不可能だ、とあきらめていたのです。しかし、神様は彼らの現実に介入され、彼らの祈りは答えられます。
このクリスマスを迎えるとき、神様は私たちの現実に介在してこられることを覚えたいと思います。闇の中を歩んでいるように思え、希望がないように思える時であっても、神様は私たちのことを見ていてくださるのです。神様はまずイエスが来られる前にイエスのための道備えをするヨハネを誕生させてくださったように、私たちの心に救い主を迎えるための道備えをしてくださるのです。それは信じる心を培うということです。その信仰の備えができるとき、私たちはキリストを心に迎えることができるのです。
ザカリヤは信じられなかったので、生まれるまで口がきけなくなります。実際に口がきけなくなることで、神様が言われたことは事実であることを再確認したに違いありません。ヨハネが誕生したとき、ザカリヤは口がほどけて神を賛美することができました。
私たちも今週、神様が私たちの所に来てくださることを信じ、期待したいと思います。キリストを迎える心、それは信じる心でです。その信仰のともしびを今日ともしていただこうではありませんか。

閉じる