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NO.685  2021.010.03

「全人的キリスト者を目指して」

 

私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。(エペソ人への手紙4:13)

 

緊急事態宣言が全面解除されました。教会の礼拝も対面の礼拝に移行してまいります。教会活動も次第に元の状態に戻ることを願っています。本日より聖餐式が復活します。また更に今月は洗礼式、幼児祝福式などが予定されています。ファミリーセル活動も積極的に再開をしていかれますようによろしくお願いいたします。
私たちの信仰生活は一人一人の成長のプロセスということができます。キリストを信じてから、私たちは成熟を目指して歩んでいるのです。その究極の目標は「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する」ことです。
聖書の知識が深くなった。礼拝に参加する習慣がついた。教会行事に詳しくなった。もちろんそれらも必要なことでしょうが、最も大切なことは、キリスト者として、キリストに似るものとなっていくということです。それは私たちの全生活に及ぶのです。
何年か前のことでしたが、あるクリスチャンの姉妹が私に「夫は教会にいるときと、家にいるときでは全く態度が違うのです。教会では敬虔なクリスチャンのようにふるまってはいますが、家では家族のことにはあまり興味を持たず、子供たちに対しても私にばかり責任を押し付けてくるのです。」そんな悩みを打ち明けられたことがありました。ご主人も礼拝には忠実に来られいましたので、ご夫婦は良い関係にあると思っていました。しかし、互いの認識は違っていて、実際はいろいろな問題や悩みを抱えておられたのです。
キリストを信じて生きるということは、私たちの夫婦生活、家庭生活にまで、神のみ国の豊かさが及んでいくということです。もちろん、だれも完全な人はいません。欠けだらけの私たちではあります。しかし、神様を信じ、神の豊かさにあずかっているというなら、その豊かさが、家庭や夫婦の関係にまで浸透していってこそ、神を信じて生きていることの喜びがあるのではないでしょうか。
ときどき私たちは自己矛盾を起こしてはいないでしょうか。神様の救いと恵は素晴らしいと告白しますが、実際はそれほど家庭が変わっていない。いや問題がある。家庭には平安ではない。そんな状況だとするなら、神様がご介在される領域がまだまだ沢山あるということなのです。
神様の願いは私たちの魂が救われ神の子どもとされたのなら、その恵みが、夫婦の関係に家族の関係に反映されることです。全人的に成長したクリスチャンを目指すことが求められるのです。聖書のみ言葉を実践するとはそのような成長のプロセスを通して、実現していくのです。
愛する兄弟姉妹はどのような夫婦関係を願いますか。またどのような家族関係を願いますか。具体的に神様の恵みが家族や周りの人間関係に及んでいきますように。互いに協力しながら、天のみ国の民としての現実を体験できるようにさせていただきましょう。

 

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