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NO.682  2021.09.12

「自分を変える柔軟性を養う」

 

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」ニコデモはイエスに言った。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」」(ヨハネ福音書3:3-4)

 

先週、91歳になる母がだいぶ弱ってきたので、これからの対応を姉夫婦と協議するために松山に帰省いたしました。前回母に会ったときはまだ歩けていたのですが、ベットから転んで肩を痛めて以来、歩行が困難になっていたのです。地域包括支援センターの方とお話をし、ケアマネージャーさんに母に面会をしてもらい、訪問介護でいいか、あるいはショートスティを取り入れるか、話をすることになったのです。
ところが一つ問題が起こりました。それはケアマネージャーさんが来るのが2週間後になるというのです。私は翌日には帰京する予定にしていましたので、なぜそんなに遅くなるのか尋ねました。すると、緊急事態宣言下にある東京から私が帰省し、すでに母と濃厚接触をしているので、安全が確認されるまでは会えないということだったのです。ほかの施設にもあたってもらったのですがどこも同じ返答が返ってきました。
ワクチンはすでに二回接種していて平熱ですし、大丈夫と食い下がったのですが、ダメなのです。当初は何で頭が固い人ばかりなのか、地方の人たちは過敏になりすぎている。そう思っていました。しかし、考えてみれば感染リスクから考えれば当然の処置といえます。
では、翌日に面会してもらうにはどうすればよいかと問い合わせますと、PCR検査を受け陰性証明書があれば大丈夫ということでした。それで急遽、自費でPCR検査を受けることのできる病院を探して、夕方閉まる直前に検査を受けることができ、何とか無事に陰性証明書を出してもらうことができました。
翌日、ケアマネージャーさんが来てくださり、病院での診察、ショートスティののちに訪問介護という流れを作ることができました。バタバタと焦りましたが、対応をすることができて本当に神様に感謝をいたしました。
しかし、自分の思いを変えるということには様々なハードルがあることに気づきました。自分が正しい、向こうが譲歩すべき。そう固執していると前に進むことはできません。私たちの信仰も同じです。自己主張するのではなく、神様が言われることが優先であることを覚えたいと思います。
律法学者ニコデモは、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われたイエスの言葉に戸惑い、年老いている自分はもう一度母の胎に入って生まれることなどできないと言ってしまうのでした。
もし、私たちが、自分を変えることができなければ、道が開ける可能性は低くなってしまいます。神様のみ言葉はしばしば私たちにチャレンジを与えます。み言葉に従うことに踏み出すかどうかというチャレンジです。人を変えるのを待つのではなく、自分がまず変わることに挑戦するなら、思った以上の成果と進展を見ることができます。今日も、み言葉を聞き、自分を変えることに柔軟になろうではありませんか。

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