閉じる

NO.672  2021.07.04

「助けを求めていいんです」

 

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
(Ⅰペテロ5:7)

 

先日、あるクリスチャンの方とお話をしていました。いま体調を崩しておられて、咳や痰がでる状況が続いているとのこと。色々伺ううちに、その方の症状は体の具合が悪いというだけではなく、抱えておられるストレスの蓄積が今の状況を作り出しているように思えました。お孫さんの子育て支援であったり、人間関係など、抱え込んでいるものがとても多いように思えました。私は「我慢することもいいけれど、人には限界があるので我慢しすぎないように。ストレスが溜まっていること。苦しいことを周りの人たちに伝えていいんですよ。」などお話をし、お祈りをさせていただきました。
お話をしながら、この方の状況は私たちにも当てはまるのではないかと思ったのです。神様を信じるということは私たちの人生を神様におゆだねすることです。今まで自分で頑張って生きてきた生き方を、今度は神様にゆだね、お任せして、自分中心から神様中心のライフスタイルに変えられていくのです。
しかし、日本人の特性でもあるのでしょうが、我慢することが美徳であるという価値観があり、どうしても自分で抱え込みがちになってしまうのです。ですから神様を信じても、自分が神様のために頑張らなければ、自分がやらなければ、という思いになりがちなのです。真面目であるがゆえに、神様のためにどうしても自分が頑張ってしまうことになるのです。もちろん真面目で、信仰に一生懸命になることは大切な事です。しかし、それは、自分が何でも頑張るということとは違うのです。
信仰の第一歩は自分が握っているものを、手放すことから始まるのです。自己中心の生き方を手放し、罪を手放し、自分の今までの価値観を手放し、キリストを受け入れ、キリスト中心の生き方を培っていくことが信仰の歩みなのです。反対に、自分が頑張り、一生懸命していると、それは頑固さにつながり、その頑固さは神様が願っておられることとは真逆の状況になることにもなりかねません。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」と聖書は語ります。自分が思い煩っていることを手放すこと。それが神様にゆだねることなのです。思い煩いを抱え込み、それでも自分が何とか頑張らなければ、ここで頑張ることが神様が願っておられることだ。そう思い込んでしまうと強いストレスを抱え込み、その蓄積で体調も不良になってしまいます。
繰り返しますが、真面目である。我慢強い。一生懸命である。それらは一見良いように思えますが、ひょっとするとそれは自分の頑固さでありかたくなさの表れの可能性があります。
どうか一度頑張りすぎるのをやめて、神様にゆだねませんか。もうこれ以上は無理です。自分ではできません。そう弱さを告白していいのです。その時、神様はあなたに救いと解放の道を備えてくださることに気づくのです。神様に、また周りの人たちに助けを求めていいのです。主はそれを待っておられるのです。

閉じる