閉じる

NO.671  2021.06.27

「あなたは神様に承認されている」

 

イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(ルカの福音書19:5)

 

わたくしには、今、孫が4人います。次女には二人の女の子がいますが、ちょうど下の子が一歳になったばかりです。すると三つ違いのお姉ちゃんのほうは、いろいろとちょっかいを出してきて、お母さんの手を煩わすようです。まだ下の子には手がかかりますから、どうしてもお母さんの意識は下の子の方に向いてしまうのです。しかしお姉ちゃんはそれが面白くないのです。時々妹を泣かせたりするようです。お母さんの方も上の子の気持ちがわかるので、時間を見ては極力一緒に遊んだり、公園に行ったりと大忙しです。
小さい子供にとって、母親は絶大な存在です。お母さんにかまってもらいたいし、愛してもらいたい。人には生まれた時から、承認欲求があるのです。それが満たされるとき、愛情を受け取り、自己肯定感が育っていくのです。
しかし、この承認欲求は子供の時だけではありません。大人になっても、同じように人は認められたいのです。家庭で、職場で、学校で、教会で、私たちが生活する現場で、自分が承認され、受け入れられているとその交わりにとどまり続けたいと思うのです。
イエス様の人への接し方を見る時に、まさにイエス様は人々を認め、受け入れ、愛していかれました。イエス様の愛に触れた人は、イエス様についていくようになったのです。
人から嫌われ者の取税人ザアカイの家にイエスは泊られ、ザアカイをそのまま受け止めてくださいました。何度も結婚を繰り返していたサマリアの女性もイエス様によって受けいれられました。姦淫の現場で捕らえられた女性も、イエス様はさばくことなく赦され、人々の非難から彼女を救われました。そのほかにも、12年の長血を患った女性の救い、生まれつき盲人であった人の救い、墓場を住みかとしていた男性の救いなど、枚挙にいとまがありません。人々が避け、かかわりを持たないような人に対してイエス様は愛を示され、受け入れていかれたのです。
教会にも様々な人たちが訪れます。その方たちの居場所に教会がなることが求められているのです。そのためには、訪れる人たちを喜んで承認し、受け入れる心の広さと愛が求められます。拒絶された、無視された、裁かれた、そんな思いを持ってしまうと、そんなところにはいたくないものです。
もちろん、その人自身変えられなければならないところは沢山あるでしょう。しかし、神の愛に触れ、神が受け入れてくださったという愛の実体験をするなら、また教会もその人を承認するなら、その人は教会を通して神と人の愛を受け取っていくことができるのです。
「愛着障害」という言葉があります。多くの問題行動の根底に、十分に親からの愛情を受け取ることができなかった。条件付きの愛で育った。というような環境があるのです。私たちの周りにもそのような方が沢山おられるのではないでしょうか。お互いを積極的に承認し合いましょう。愛し合いましょう。認め合いましょう。神様はあなたを愛し、受け入れ、無条件で承認しておられるのです。神様に承認されているのがあなたなのです。

閉じる