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NO.670  2021.06.20

「マイナスからプラスの信仰へ」

 

イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 (マルコの福音書9:23)

 

先日、ある方が「信じているのにどうしてこんなことになるのでしょう。」「どこに神様はおられるのでしょう。」と言われていました。しかし、「信じているのに」ということは信じていないことを表明しているのと同じになります。

多くの場合、私たちは現実から信仰をはかる癖があります。現実がうまくいっていない。現実に問題がある。願っていることが実現しない。そうすると、その状況から神様が働かれない。神様は私を見放しておられる。そう思ってしまい、マイナスの信仰が働き、その状況が現実に起こってくるのです。マイナスに信じた結果を手にすることになってしまうのです。
しかし、信仰とは神様のみ言葉から、現実を見ることです。神様のみ言葉の約束から自分の現実の中に働かれる神様の御手を信じるのです。そうすると、信じる流れが生まれてきて、プラスに信じていることが現実の世界に現わされてくるのです。これもまた信じたことの結果を手にしていることになるのです。
てんかん持ちの息子を持つ父親がイエス様のところに息子の癒しを求めてやってきました。ちょうどその時イエス様は山に祈りに行かれていておられませんでした。父親はイエスの弟子たちに息子が癒されるように願い、弟子たちは祈ったのですが、癒されなかったのです。
山から戻ってこられたイエスを見つけた父親はイエスに息子のための祈りを求めます。ちょうどその時、息子は発作を起こして倒れてしまいます。それを見た父親はイエスに「おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」とイエスに懇願します。するとイエスは「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」と宣言されるのでした。このイエスのきっぱりとした言葉に、父親は思わず「信じます。不信仰な私をお助けください。」と叫んでひれ伏すのでした。イエスは息子の中にいるてんかんの霊を追い出され、息子は癒されるのでした。
父親の置かれている現実は、マイナスの状況ばかりでした。長年の息子の転換の病での苦しみの現実があります。また弟子たちの祈りでも治らなかった。彼の心の中には、半信半疑な心があったのです。あるいは難しいだろうという、マイナスの信仰が働いていたのです。
それを断ち切るのは神のみ言葉です。神のみ言葉を宣言し、プラスの信仰に私たちの心を結び付けるのです。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」と告白いたしましょう。不信仰が湧き起こったら、「信じます。不信仰な私をお助け下さい。」と悔い改めて祈り、神の約束を信じるのです。そうして信仰の言葉を絶えず語り、絶えず積極的な言葉を語る習慣を身につけましょう。
すぐに、愚痴や不平や不満の言葉を吐かないようにしましょう。それはマイナスの信仰を助長させることになるのです。日々信じることのチャレンジです。神のみ言葉を信じ続けるのです。どんな否定的な環境の中にいても、絶望の状況にいても、神様は生きて働かれる。そう信じ続けようではありませんか。
み言葉と祈りによって自分自身を武装し、信仰の勝利を手にいたしましょう。信じるとおりになるのです。

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