閉じる

NO.666  2021.05.23

「目を天に向けよう」

 

天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。(詩篇19:1)

 

私たちの周りには様々なことが日々起こります。今は、コロナの緊急事態宣言下にあるので、行動が制限されていますし、その中で仕事をしなければなりません。また、この特殊な環境下での生活は様々なストレスを生んでいます。生活の不安や心配は尽きることがありません。 そのような生活が続くと、いつの間にか周りのことばかりに目が行き、一喜一憂することにもなりかねません。時には目先の関心事から別の方向に私たちの意識を向けることが大切です。それは天を見上げることです。
聖書は「天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。」と語っています。天は神の栄光を語り継げているのです。太陽、月、星、すべて神様の創造物であり、規則正しく動いています。それらは神の栄光の表れなのです。また、大空は御手の業を告げ知らせている。とあります。青く澄み切った空も、雨も風も、また空に飛び交う鳥たちも、神のみ手の業だというのです。
なぜ詩篇の作者はこの言葉を私たちに語り掛けているのでしょうか。それは私たちに、天に目を向けさせ、神様の偉大な業を覚えさせるためなのです。私たち自身も、神様の被造物の一部です。偉大な神のみ手の中で生かされ、支えられている。この偉大な神を覚える時、私たちは目先の問題から解放されて行くのです。問題ばかり見ていると、ますます暗く否定的になります。しかし、神様の創造の業である天に目を向け、大空に目を向けることで、どんなことがあってもすべては神様のみ手の中で起こっていることであると、信じ心を広く大きくすることができるのです。
また、イエス様は「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。・・・野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。・・・今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」(マタイ6:26-30)と言われました。空の鳥を養われる神様、野の花を美しく装わせてくださる神様は、私たちを放っておかれるようなお方ではありません。神様は必要なものをもって私たちを養ってくださるお方なのです。
しばし、私たちの意識を天に向けましょう。大空に目を向けましょう。そこにある神様の偉大さ、大きさに自らをゆだねて、広く大きな信仰の心を与えられようではありませんか。
また、身近な空の鳥を養い、野に咲く草花を素敵に装わせてくださる神様の小さきものに対する配慮にも、目を向けましょう。その時、私たちをそのままで放っておかれない神様の愛のみ手を覚えることができるのです。
あなたは神様飲み手の中で生かされ支えられているのです。今日も天を見上げて歩んでまいりましょう。

閉じる