閉じる

NO.663  2021.05.02

「慣れることの怖さ」

 

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。(マタイ24:38)

 

ゴールデンウィークが始まりましたが、昨年につづいて、今年も緊急事態宣言下ということもあり、人出は少ないようです。しかし、それでも昨年の緊急事態宣言時と比べると、かなり人出はあるようです。都内のデパートは閉まっているので、緊急事態宣言の出ていない横浜などデパートの開いているところへ東京から人が流れていると言われています。
東京は緊急事態宣言も今回で三度目です。だんだんこの状況に慣れてきてしまっている感は否めません。非常事態が常態化するとその生活が当たり前になってくる。慣れというのは本当に怖いものだと思います。
もちろん、生活に慣れるということは恐れや不安、ストレスも軽減されるので良い面も確かにあります。しかし、危機意識が薄れてしまうと、指数関数的にコロナが蔓延する危険性もあるのです。適度な緊張感と、目覚めた意識をもって収束するまで、しっかりと感染対策を取り生活をすることが求められているのです。
同様に私たちの信仰の慣れにも気を付けなければなりません。ライブ礼拝やリモート礼拝が常態化すると、私たちの信仰もこれで大丈夫と思ってしまい、生き生き感のない信仰に陥ってしまうこともあるので、注意いたしましょう。
ライブ礼拝はライブ礼拝で立派な礼拝です。ですから、家庭にあっても、聖なる神様の前に出ているという意識をもって礼拝をささげましょう。いろいろなことをしながらの「ながら礼拝」ではなく、また、片手間に礼拝をささげるというのではなく、誠心誠意、心を込めて、神様をあがめ礼拝をお捧げいたしましょう。心から賛美をささげ、お祈りをし、み言葉を受け取りましょう。このような時こそ、しっかりと神様を見上げることのできる目覚めた信仰を培っていこうではありませんか。
ノアという人は、神様の裁きの洪水が来るというお告げを受け、神様の命じられたとおりに、山の上に箱舟を作り始めました。ノアが作っている箱舟を見て人々はどう思ったことでしょう。そんな洪水なんて今まで来たためしがないのだから、来るわけがない。しかも山の上に箱舟を作るとは気でも狂ったのではないか。罪に満ちた生活をしていた人たちは、ノアの警告にも耳を貸さず、自分たちの生き方を変えようともしませんでした。「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。」とあるように、あくまで自分たちの生活が中心だったのです。しかし、洪水の日は突然にやってきました。聖書も主の日は「盗人のようにやってくる」と警告し、いつ主イエス様が来られてもよいように、信仰に目覚めて生きるように強く勧めておられるのです。
信仰の慣れから脱却いたしましょう。毎日、み言葉に触れ、祈りを通してイエス様との交わりを深めていこうではありませんか。このコロナ禍においても、目覚めた信仰をもって歩んでまいりましょう。

閉じる