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NO.661  2021.04.18

「晩鐘」

 

あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(詩篇55:22)

 

私は小学校3年まで愛媛の田舎に住んでいました。田舎の家の座敷には一枚の絵が掲げられていたのを思い出します。学校から帰ってくるといつもその絵を目にしていました。また、座敷で遊んでいると、何度もその絵が目に入っていました。後でわかったのですが、それはミレーの「晩鐘」という絵でした。教会から聞こえてくる夕刻の鐘の音、「晩鐘」とともに、農作業の手を休め、農夫がひと時の祈りをささげている絵です。誰が買って来たのか、もらったのか、それは定かではありません。田舎の何もないような家でしたが、なぜかその絵だけは私の心に残る絵でした。
私の家は浄土真宗でしたし、キリスト教とは縁はありませんでした。しかし、私がクリスチャンになってから祖父は自分がキリストの集会によく行っていたことを話してくれました。私の信仰に対してとやかくは言いませんでしたが、自分には洗礼まではいけなかったことなどを話してくれたのを覚えています(のちに病床で洗礼を受ける)。今でもこの「晩鐘」の絵を見ると、座敷に飾ってあった絵を思い出し、なぜか穏やかな気持ちにさせられます。
私たちも毎日様々な仕事やストレスを抱えながら生きています。しかし、時にはしばし手を休め、「晩鐘」の農夫のように、心を静めて主に祈りをささげる。そのような習慣を養いたいものです。
詩篇の作者があなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」と語っているように、私たちは自分ではどうしようもないことは「主にゆだねる」ことにいたしましょう。
自分で一人で抱えて、その重荷に押しつぶされそうになってはいないでしょうか。主にゆだねるのです。主は私たちのことを「心配してくださる」のです。心配されるだけではありません。「主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」とあるように、私たちを支え、助けてくださるのです。私たちは決して一人ではないのです。
特に今はコロナ禍にあって、メディアで流される情報に振り回されて、一喜一憂しがちです。私たちがフォーカスすべきはイエスキリストです。このお方に私たちの歩みをゆだね、主の助けと導きを求めて祈りましょう。そうして、今私たちが置かれているところで、与えられている働きを忠実に行っていきましょう。
愚痴や不平や不満が出そうになったら、まずその状況を神様に告白し、しばし仕事の手を休め、祈りの時を持ちましょう。ミレーの農夫たちは「晩鐘」を合図にして手を休めて、心を静めて祈りました。
私たちにとっての「晩鐘」とは、ひょっとすると、私たちが直面する問題や障害、困難なことなのかもしれません。それらが私たちに、祈りなさい。神様にゆだねなさい。心を落ち着かせなさい。そのような鐘の音となって私たちに知らせているのではないでしょうか。今こそ祈る時です。

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