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NO.660  2021.04.11

「イエスの取り扱い」

 

イエスは三度目もペテロに、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは、イエスが三度目も「あなたはわたしを愛していますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。(ヨハネの福音書21:17)

 

先週、私たちはキリストの復活をお祝いいたしました。しかし同時に、復活のイエスに出会っても目がふさがれていてイエスだとわからない弟子たちの姿が、復活の出来事と共に浮き彫りにされています。
しかし、そんな弟子たちにイエスは個人的に出会ってくださり、それぞれの弟子の状況に合わせて、ご自身の復活を明らかにされて行かれました。
このようなイエスの取り扱いを見る時に、私たちが悟り、目が開かれ、復活の主と共に歩むためには、時間を要することがわかります。イエスは決して乱暴にご自分の復活を有無を言わさず示し、従えというようなことはされないのです。丁寧に一人一人に向き合い心を開けられるように接してくださるのです。
ペテロはかつて、十字架刑の裁判の夜、イエスを知らないと言ってイエスとの関係を否んでしまいました。彼の挫折感はいかばかりだったでしょう。
復活の出来事も、心の中にある裏切り者としての自責の念や挫折感が支配してて、本当に素直に喜ぶことはできなかったのではないでしょうか。思い切ってイエスの前にひれ伏して、「申し訳ありません!私はあなたを知らないと言ってしまいました。私のふがいなさと罪をどうか赦してください!」と自分を投げ出せばよかったのですが、弟子失格の思いの方がまさってしまっていたのです。
そんなペテロにイエスは三度会ってくださいました。弟子たちが、早朝、魚が捕れず失望していたときです。ガリラヤの岸に立たれたイエスは「船の右側に網を下ろして魚を取りなさい」と言って、声をかけられたのです。言われるとおりにすると、網が破れるほどの魚153匹が捕れたというのです。
ペテロは泳いでイエスのもとに行きました。イエスとの朝食の時でした。沈黙を破ってイエスがペテロに「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と問いかけられたのでした。しかも三度も。ペテロは心を痛めたのですが、「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」と応答し、イエスの弟子として再び立ち上がったのでした。
イエスは「私を愛しますか。」とペテロに問うかたちで、ペテロの失敗を受け取り、赦し、祝福していかれたのです。そうしてペテロにはそのプロセスが必要でした。 ペテロは自分の失敗に向き合い、しかし必要以上に自分を責めるのではなく、すべてを主イエス様にゆだね、「愛しますか」というイエス様の言葉に応答して立ち上がっていったのです。
私たちの痛みや辛さをイエス様のところにもっていきましょう。自分で解決をしようと策を講じても余計辛い状況に陥ってしまいます。しかし、すべてをご存知のイエス様にゆだねる時、イエス様はあなたに必要な助けと導きを与えてくださいます。 今日も人ではなくイエスにしっかりと向き合ってまいりましょう。

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