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NO.655  2021.03.07

「ワンチームで」

 

そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。 (使徒の働き2:46-47)

 

「ONE TEAM(ワンチーム)」という言葉は、ラグビーW杯で日本代表がスローガンにしていた言葉です。2019年の流行語大賞となりました。今夏に予定されている東京オリンピックにおいても組織委員会、東京都、国、各競技団体が「ワンチーム」で取り組もうと、小池都知事などが盛んに繰り返して用いている言葉です。
キリストの教会も同様です。いまこのコロナ禍の中で「ワンチーム」になりにくい状況が展開しています。緊急事態宣言も二週間延長となりました。礼拝もリモート礼拝が二週間延長となり、再開は3月28日からとなります。様々な予定が中止となったり、狂ったりします。また、見えない重い空気が私たちの行動を制限したり、ブレーキを掛けたりします。一緒に礼拝することへの躊躇、小グループ開催の躊躇。奉仕への参加の躊躇。コロナ禍の環境が私たちに影響をもたらします。
しかし、このような現状だからこそ、私たちは「ワンチーム」になることを躊躇したり、他者への無関心から脱却する努力を惜しんではならないのです。
初代の教会は困難な中で成長を続けていきました。それは「一つになる力」によって乗り越えることができたのです。「毎日心を一つにして」とか「一つにしてくださった」という表現が初代の教会の姿の特徴として表現されています。迫害があればこそ、彼らは一つになりました。人々が一つになって、聖餐と交わりをし、一つになって神様を賛美していたのです。一つになっている姿に周りの人たちは好意を持ち、仲間に加わりたいと思う人たちが起こされ、主は毎日、救われる人々を加えて」くださったのです。
教会は様々な個性を持つ人たちの集まりです。同じ神様を信じるクリスチャンであっても、それぞれに性格の違いや考え方の違いがあります。「私たちは神の家族」と呼びますが、近くになればなるほど、逆にストレスや葛藤が生まれることもあるのです。自分たちの家族のことを考えれば、そんなにきれいごとで「家族」ということはできません。やはり、様々な格闘や葛藤があるのです。
そこで問われるのが、いかにして「ワンチーム」になれるかということです。それが私たちにとっての課題でありチャレンジです。人を批判したり、変えようとすればするほど、軋轢が生じます。
まずは自分自身が祈りの中で聖霊様の満たしを体験することが必要です。神様の喜びや賛美で満ち溢れると魂は引き上げられ、豊かな心にされ、周りの人を受け入れる心のゆとりが生まれてくるのです。
私たちの教会が、ファミリーセルが、また、セルグループ同士が、各リモート場所が、「ワンチーム」になるためにはどうすればよいか。初代の教会の人たちはどのようにしてワンチームになれたのか。そんなことを思い巡らしながら、日々チャレンジをしてまいりましょう。

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