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NO.652  2021.02.14

「自立に向けて進む」

 

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えた。 「あなたは生ける神の子キリストです。」(マタイ16:15-16)

 

海外に出ると、日本ほど親切な国はないと思います。日本の環境に慣れていると海外に行くと戸惑ったり、不親切に感じたりいたします。
日本ではバスに乗れば行き先を教えてくれます。両替の必要な人は止まっているときに早めにするようにと説明してくれます。また、次はどこで止まるか案内をしてくれます。一方、アメリカなどでは、もちろん30年も前の話ですが、両替機はないので、自分で前もって両替をしてバス代を用意しておかなければなりません。おつりはもちろんもらえません。また、どこで降りればよいか、自分で確認をしておかないと、行き過ぎたり、全然別のところに連れていかれる可能性もあります。当初は戸惑って、不自由さを感じましたが、しかしその環境に慣れると、それが当たり前になってきます。自己責任が基本として求められる国がアメリカだと言えます。一方、日本ではじっとしていても周りが動いてくれたり、世話をしてくれたりする環境があるのです。しかし、それらが行き過ぎると、私たちの自立が妨げられてくるように思えます。無意識のうちに人に期待したり、周りに要求するようになってしまうのです。
ある時イエスは弟子たちに「人々は私のことを何と言っていますか」と問われます。すると口々に「バプテスマのヨハネという人がいます。」「偉大な預言者だという人がいます。」と人の評価をそれぞれ報告するのでした。イエスは次に、では「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と問われるのでした。
ペテロは「あなたは生ける神の子キリストです。」とはっきりと告白するのでした。この時ペテロは、人の言う言葉に流されて答えたのではなく、自分が主体的にキリストを生ける神の子として告白することによって、神への信仰を明確にしたのでした。
今は、ちょうどコロナ禍にあります。人と交わることがなかなか難しい状況にあります。この状況下で私たちが確立することは、神様との親密な関係です。人がどう言うか、人がどう思うか。環境がどうか。それで私たちの信仰の在り方を決めないようにいたしましょう。また誰かが動いてくれないから、理解してくれないからと現在の試練を周りのせいにしないことです。
あなたと神様の絆がしっかりと強められていくならば、周りの環境がどうあれ、また、なかなか教会に集えないもどかしさを覚えることがあっても、神様への確信は変わることはないのです。なぜなら、イエスキリストは世の終わりまでいつも共にいてくださるのですから。
コロナ禍が私たちと神様の関係を分断することは決してありません。もしそのように感じるとするなら、もう一度私たちと神様との関係を見直すことが必要です。
神はどのような状況でも、私たちの神であり、神の前に立つ私たちを全力でバックアップしてくださる方なのです。

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