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NO.644  2020.12.20

「インマヌエルの神」

 

「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイの福音書1:23)

 

メリークリスマス!クリスマスおめでとうございます。イエスキリストの降誕を愛する皆様とともにお祝いできるとことを心より感謝をいたします。
イエスキリストを信じ、信仰に導かれてわたくしも49年になります。ですから今年は信仰を持って以来、49回目のクリスマスということになります。今でも、最初に教会に行った時のことを鮮明に覚えています。教会というより、天幕伝道集会でしたが。それはとても新鮮で感動的な体験でした。メッセージを通して、キリストの十字架の意味を初めて知りました。私の罪の身代わりとなるため、私を救うために来てくださったお方が、キリストであり、その降誕を祝うのがクリスマスなのだということもわかりました。
生まれて初めて、イエスキリストを信じるお祈りをいたしました。その時何か、心の中に今までとは違う喜びと、神様を信じたという実感を経験いたしました。今までは、ほかの人と同じように、歴史的人物の誕生日、それがクリスマスというくらいの認識しかありませんでした。しかし、その時の祈り以来、自分うちにキリストが生きておられる。また、キリストがそばにおられるという臨在感を覚えるようになりました。それは私に大きな安心感と安定感を与えてくれました。それが私にとっての初めてのクリスマスの体験だったのです。
み使いはヨセフに夢の中で、「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(マタイの福音書1:21)と告知しました。
福音書記者マタイはそのことは旧約聖書の預言の成就であることを示しています。すなわち、「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイの福音書1:23)と述べているのです。
イエスが誕生されたことを祝うクリスマスは、私たちと共におられる神、インマヌエルの神であることを覚える時なのです。それは私たちはもはや一人ではないということです。一人で孤独に生きる必要はなく、また孤高の戦いをする必要はないのです。どんな時も、どんな状況の時も、キリストは私たちと共にいてくださり、私たちを導いてくださるということなのです。
このコロナ禍の中で迎えるクリスマスです。人との交わりが希薄になりがちな状況です。しかし、だからこそ、私たちは、イエスキリストがいつも共におられ、共に歩んでくださっていることを強く、意識的に覚えたいと思います。
イエスは「インマヌエル」の神です。それは「神が私たちと共におられる」という意味なのです。それがどれほどすごいことであり、驚くべきことなのかを覚えましょう。神はあなたやわたしと共におられるのです。
このキリストに感謝しながら、今年の残りの日々を過ごし、イエスと共に新しい年に向けて備えをしていくものとなりましょう。主イエスはあなたと共におられます。

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