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NO.643  2020.12.13

「もう一人の博士」

 

『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(マタイの福音書25:40)

 

アメリカの牧師で作家のヘンリー・ヴァン・ダイクという人の作品に「4人目の博士」というのがあります。イエスに会いに出かけた東方の博士たちにはもう一人いたというのです。
彼の名はアルタバン。三人の博士の親友。アルタバンは、家を売って、袋一杯の真珠を準備しました。真珠の袋を持って三人の博士との待ち合わせ場所に急ぐアルタバンでした。ですが、しばらく歩くと道端で倒れている男に出会います。「強盗に襲われて大けがをし、お金も全部取られてしまいました。」アルタバンは男を近くの宿屋に連れて行って介抱しました。宿屋の主人に「これを売って、この男の人のために使ってください」と真珠を一粒渡し、三人の博士のもとに急ぎます。
しばらく行くと、今度は道端でうずくまっているおばあさんがいました。「お腹が空いて、もう動けません。1週間も何も食べていないのです」。アルタバンは背負って家まで連れて行き、真珠を一粒売って、おばあさんのために食事を準備しました。おばあさんが元気になったのを見届けて、再び三人の博士との待ち合わせ場所に向かいます。ですが着いたときには、もう博士たちは出発した後でした。大急ぎで後を追いかけ、ベツレヘムに辿りつきます。ですが、博士たちは、別の道を通って帰ってしまった後でした。肝心の救い主、イエスも両親に連れられてエジプトに旅立ったとのこと。
しかし、アルタバンは、イエスに会うためエジプトに旅立ちます。もう少しでイエスに会えそうな場面は何度もあったのですが、道で困っている人に会い、助けているうちにせっかくのチャンスを逃してしまうのでした。そうこうしているうちに、30年の月日が流れました。真珠も、人助けに使ってしまって、もう一粒しか残っていません。そんなアルタバンの元に、イエスが捕まり、処刑されるという知らせが入ります。何とか一目だけでもイエスに会いたいと願うアルタバンは、大急ぎでエルサレムに向かいます。イエスに会えると勇んで道を歩いていると、「助けて」と泣き叫んでいる女の子に出会います。親の借金の代わりに売られていく途中とのこと。アルタバンは大いに迷いましたが、袋に残った最後の真珠を、大男に渡して女の子を助けてあげました。ですが、そこまでしたところで、年老いたアルタバンは力尽きて倒れてしまったのです。
「結局、イエスには一度も会えなかった。家を売って買った真珠も、一粒も渡せなかった。わたしは何をしていたんだろう。」そう嘆くアルタバンに不思議なことが起こります。寝ているアルタバンの枕元に、イエスが現れたのです。イエスは「お前は、わたしに一度も会わなかったなんて言ってるが、何回も会ったじゃないか。あのとき道端で倒れていた傷だらけの男、お腹を空かせたおばあさん、泣き叫んでいた女の子、あれは全部わたしだったんだよ。ご覧、お前の真珠は、ぜんぶここにある。」イエスはそう言って、袋一杯の真珠をアルタバンにかざしました。アルタバンはすっかり安心し、穏やかな顔で息を引き取ったのでした。
私たちも直接イエスにお会いすることはできません。しかし、私たちの周りには多くの弱った人たちがいます。その方たちのためにアルタバンがしたように私たちのできることをするなら、それはイエスキリストにすることになり、イエスへの最高の贈り物になることを覚えたいと思います。このクリスマス私たちもイエスへの贈り物を用意しようではありませんか。 「最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」

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