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NO.642  2020.12.06

「ワンダフルカウンセラー」

 

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9:6)

 

アドベント(待降節)に入り、キリスト降誕を待ち望むときです。例年とは違った新型コロナ感染拡大の中でのクリスマスとなります。華やかさもなければ、お祝いの祝会もありません。しかし、それがなくても私たちはイエスキリストの誕生を心から祝い、喜びたいと思います。
このような状況でのクリスマスを神様が許されているとするなら、私たちへの神様のご配慮と導きがあることを悟るものになりたいと思います。
その第一はキリストだけにフォーカスをするということです。私たちが目を向けるのは、きらびやかなイルミネーションでもなければ、おいしいクリスマスのディナーでもありません。親しい方からのプレゼントでもないのです。もちろんそれらがあっても大いに構わないのですが、それらがないからと言ってクリスマスができないというのではないのです。なぜなら、クリスマスの主役はイエスキリストご自身なのですから。
いつの間にか、クリスマスがイエスキリストではなく、その周りの祝会や楽しいイベントに目が向いていないでしょうか。このコロナ禍は私たちにキリストにしっかりと目を向けることを促しているのです。
この世の状況は本当に変わります。誰がこのような一年になると予想したでしょうか。コロナの影響で様々な変化が起こっているのです。仕事の見直し、家計の見直し、家庭の見直し、人間関係の見直しなど。何か一年の終わりの大掃除や棚卸ではありませんが、私たちの人生の見直しが進んでいるように思えてなりません。
クリスマスの本質であり、中心であるキリストに目を向け、キリストとの関係をもう一度見直そうではありませんか。あなたにとってキリストはどのようなお方でしょうか。キリストを信じている感動がありますか。毎日インマヌエル(神共にいます)の神となられたキリストと共に歩んでいる実感があるでしょうか。
先日ある姉妹から、キリストの愛の実感がもう一つ感じられないのですが。という問いかけがありました。その方の渇きが伝わってきました。でも同時に、自分はどうであろうか。自分はキリストと共に歩んでいる実感、リアリティーを持っているだろうか。どこかで感動がなくなり、どこかで聖霊の喜びが少なくなり、毎日のルーティーンワークをもなしている。そんなことになってはいないかと反省をさせられました。
イザヤはやがて来られる救い主、キリストをその名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。」と紹介をしています。キリストは「不思議な助言者」です。英訳では「ワンダフルカウンセラー」とあります。「素晴らしいカウンセラー」それがキリストです。あなたの今の状況を踏まえながらあなたに寄り添い、神の恵みの中に導いてくださるお方。それがイエスキリストなのです。このお方のカウンセリングを受けながら、自分の人生を大胆に見直す時といたしましょう。それがキリストを待ち望むということなのです。

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