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NO.629  2020.09.06

「神の恵みに生きる」

 

ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。(Ⅰコリント15:10)

 

本日、午後、2名の姉妹が洗礼を受けられます。このコロナ禍の中で、神様が不思議に導いてくださり、洗礼の恵みに預かられます。どうか、お時間のある方は、洗礼式に証人としてご参加くださいますようにお願いをいたします。
お一人は、学生時代に留学先で友人に誘われ、バイブルスタディに参加されたのをきっかけにキリストの福音に触れられました。帰国後も、国際交流の場で、当教会員の姉妹と出会い教会に導かれました。神様の不思議な導きです。
もうお一人は二カ月前に、自ら教会を訪ねてくださり、礼拝に参加されるようになりました。ご自身が携わっておられるビジネスの上司や同僚の方に私たちの教会員の方がおられ、その方たちのぶれない人生観と生き方に接しておられるうちに、自分に足りないものを持っておられることに気づかました。自分も創造主なる神を信じる人生に歩んでいきたいと、教会を訪ねてくださったのです。渇いた心に水がしみこむように、神様のみ言葉が入り、信仰告白をされ、今日の洗礼式に至ったのです。
お二人を導かれたのは神様であり、神の恵みです。また、お二人に影響を与えた周りのクリスチャンたちの生き方や祈りがあったことを覚えるのです。もちろん、信仰告白にいたったのはお二人の決断ではありますが、その決断に至るように導かれたのは神様ご自身であり、神の恵みが先行していたことを覚えます。
私たちの人生、それは神の恵みに応答する人生です。しばしば私たちは自分で生きていると錯覚し、感謝がなくなり、全てが当たり前のように思い込んでしまうことがあります。またそのことに気づくこともなく、一人で、もがき苦しむ場合があるのです。今日の洗礼式を通して、私たちは神の恵みによって導かれ、恵みによって生かされ、恵みの中に前進していることを心に深く覚えたいと思います。
第一に私やあなたに注がれている神の恵みを心から感謝いたしましょう。すべては当たり前ではなく、特別なことであり、その恵みに預かる特権をいただいたいのです。
第二に私たちができること、それは受けた神の恵みに感謝して、応答して生きることです。パウロ自身も
「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。」と告白している通りです。キリストを信じるまでのパウロは、自分中心であり、自分の力で頑張る生き方でした。しかし、キリストを信じてからは、受けた神の恵みを少しも無駄にしたくないという、神の恵みを土台とし、恵みに応答する生き方となったのです。
今日、生かされ、キリストを信じる恵みに預かっていることをお互いに感謝をいたしましょう。神様は、あなたが自覚する前から、いやあなたが母の胎内にいる時から、あなたを選び、導いておられるのです。

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