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NO.625  2020.08.09

「壁を破る」

 

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。(ピリピ2:6-7)

 

一人の経営者の方がいました。彼は前任者から多額の借金のある会社を引き継いだそうです。しかし、その会社は3年で黒字経営に変わったそうです。それは従業員の意識が変わったからでした。美容関係の仕事でしたから、従業員は女性ばかりです。お客様は人につくので、売り上げの高い人もいれば、そうでない人もいます。普通なら、売り上げをあげない従業員はやめるか、やめさせたりします。
しかし、彼はそうしませんでした。なかなか成績の出ない従業員がいると、彼は車で彼女の実家まで行くのだそうです。そうして彼女が育ったところを一緒に尋ねます。小学校に行き、その小学校で楽しかったことはどんなことだった?と聞くそうです。次には中学校、そうして高校と尋ねて歩き、最後はご両親のいる実家に行きます。彼女を食事に行かせている間に、ご両親に彼女が生まれたときどんな気持ちだったか、また、ハイハイができるようになったときはどんな気持ちだったかなど、育った状況をいろいろと聞くのだそうです。
何のためにそうするのか?そう聞かれると、彼は、「結局、売り上げが上がらない責任は自分にある。自分が働く人たちのことを知らないから、従業員も頑張ろうという気になれない。自分がもっと従業員のことを知り、従業員のことを愛し、いとおしく思うようになると、相手は変わっていく。結局変わらなければならないのは自分自身なんです。だから、働く人のことをもっと知ろうとするのです。」
彼は、従業員を変えようとするのではなく、自分が変わらなければならないと思うのだそうです。そうして彼女のことがかわかると、その従業員のことをいとおしく思うようになり、大切にするように社長自らがなっていくそうです。そうすると従業員の女性自身の意識も変わっていくのだそうです。
私たちは人を変えようとします。あの人がこう変われば、もっと良くなるのに。しかし、自分自身が変わらなければならないことにはなかなか気づかないのです。私自身も改めて自らを反省させられました。
イエスキリストは私たちを変えようとはされません。私たちをもっと身近で知るために、天のみ座を去って、私たちのところに来てくださったのです。自分の権力を振りかざすこともなく、私たちのそばを歩いてくださり、一人一人のことを知っておられるにもかかわらず、なおもっと知ろうとしてくださっているのです。しかも、私たちのしもべとなって仕えてくださいました。私たちの足まで洗ってくださったのです。さらに、ご自分の命を私たちの罪の身代わりとして十字架にささげ死んでくださったのです。それがイエスキリストです。
そのイエスのお姿を見ると、このお方のために生涯をささげて歩んでいきたいと思わされるのです。それが神の愛であり、神の愛への応答です。信仰の歩みはまさにそこに尽きるのです。
変えられなければならないのは、自分自身であることをもう一度思い起こしましょう。私たちの前にある壁が問題なのではなく、自分自身の中にある壁が問題だということを覚えて、神の助けにより、自分自身の変化にチャレンジしていこうではありませんか。


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