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NO.617  2020.06.14

「立ち止まることも良いことです」

 

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。(Ⅱコリント13:5)

 

新型コロナウィルスの感染者の減少に伴い、東京都も休業緩和に向けたロードマップを、ステップ2からステップ3へ移行することになりました。ほぼすべての休業要請が終了することになります。もちろん、三密を避けたり、手洗いや、マスク着用、ソーシャルディスタンスをとることをしながらの緩和ということになります。
しかし、この自粛生活2か月間はわたしたちに様々な生活の変化をもたらしたのではないでしょうか。マスク着用がほぼ当たり前になりましたし、お互いの距離を意識するようになりました。体温チェックに消毒など、ずいぶんと違和感なく対応できるようになったと思います。自転車通勤に切り替えたり、テレワークの定着も進んだ企業もあります。この二か月間を通して、人々は新たなライフスタイルを始めるきっかけを掴んだことになったのではないでしょうか。
私たちの教会も二か月間、無会衆礼拝をおこないました。ライブ礼拝やリモートセル、リモート祈祷会と今までとは違うスタイルを取り入れました。またわたくしは「今日のマナ」という音声ショートメッセージを配信始めました。ただじっとしていただけではなく、いろいろなことを考え、祈らされ、新しい試みにもチャレンジを始めました。
この二か月は私たちにとって立ち止まって休息をし、様々なことを見直す機会となったように思います。いままで、当たり前fのように行って来たことが半ば強制的に止められてしまったのです。しかし、このことがなければ、今まで行ってきたことをそのままやり続けていたでしょうし、見直したり、変革したりすることはなかったでしょう。新型コロナウィルスの拡大で、これからの教会の方向性を考える良い機会となりました。しっかりと立ち止まることの大切さを覚えることになったのです。
忙しい現代人は、立ち止まって考えるということが少なくなりました。何かに追われるように仕事に励み、誰かが止まれというまで止まれない、ノンストップの電車に乗ったような感覚があったのではないでしょうか。しかし、私たちにとっては起こってほしくなかったコロナ感染でしたが、様々なことがストップし制限される中で、仕事の見直し、家庭の見直し、人生の見直しをすることができたといえるのです。
立ち止まることの有用性の第一は今まで歩んできた歩みの見直しです。信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」と語られているように、自分自身はこのままでいいのか、改善点はないのか、自己吟味することができるのです。
また、立ち止まることの第二は、これからの展望の見直しです。どの方向に向かっていけばいいのか。ゴールはどこか。そのためにすべきことは何か。見直しが図られることは大切なことです。
さらに立ち止まることのメリットの第三は休息です。私たちは誰かに言われないと休むことに罪悪感を感じてしまう人もいます。知らず知らずのうちに肉体的、精神的、霊的に疲れていることはないでしょうか。神様から休みなさいと言われていると信じていいのです。神は決して私たちが馬車馬のように走ればよいとは思ってはおられません。立ち止まり、静まり、神との交わりをまず第一に持つことは、私たちが健全な歩みをするために必要なことなのです。神様も天地創造された七日目に創造の完成を告げられ、安息に入られたのです。

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