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NO.589  2019.12.01

「主を待ち望む」

 

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。
走っても力衰えず、歩いても疲れない。 (イザヤ40:31【新改訳2017】)

 

本日から、アドベント(待降節)が始まります。クリスマスの4週前から、イエスキリストの誕生を待ち望む時を過ごすことになります。クリスチャン生活とは、日々の生活の中で神を待ち望む歩みであるということができますが、特にこの4週はキリストを待ち望む時として、意識して生活していきたいものです。
しかし、待ち望むためには、待ち望む事柄が実際に起こるという事実を知っているか、はっきりと信じていなければ待ち望むことはできません。実際に起こるか起こらないかわからないあやふやなものを信じることは難しいのです。
しかし、イエスキリストは人々の待ち望む通りに、クリスマスに生まれてくださいました。そして、私たちのところにまで来てくださったのです。このお方を信じる者は神の子となる特権に預かり、いかなる時も主イエスが共におられ、神が全てのことを働らかせて万事を益にしてくださることを実際に体験することができるのです。
ある大企業で同世代の社員二人が、片田舎にある支社に転勤の辞令を受けました。そのうちの一人はその日のうちに退職届を出しました(左遷されたと思いがっかりして会社を辞めた)。しかし、もう一人は嬉しそうに、転勤先に行く飛行機のチケットを予約しました。同じような状況で二人の反応がこうも違った理由は何でしょうか。前者は一般採用で入社しましたが、後者は会社のオーナーの息子でした。彼は、田舎勤務の発令が左遷や辞職の圧力ではなく、将来自分が経営者になる準備のための訓練であることを知っていたのです。私たちの人生も同じです。私が宇宙の所有者であられる神の法的相続者であることを知り、それを意識するかどうかが、人生に対する解釈と姿勢を全く違う者にするのです。(天の御国に対する正しい考え/チェ・ソンホ)
以上は、一人の姉妹が紹介してくださったリビングライフ(ディボーションガイド)の黙想エッセイのコラムの例話ですが、なるほどと思わされます。
しばしば私たちは、自分の置かれている状況の全体が見えないため、なぜこんな状況になったのかと失望したり、落胆したりします。しかし、全ては神様のみ手の中で導かれているのです。辛いと思う困難もやがてこのことがあったので、今の祝福があると信じることができるようになるのです。
ですから、私たちは神のみ言葉と導きを信じて、神様を待ち望むものとなりましょう。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」のです。クリスマスはこのキリストを仰ぐときであり、キリストを通して自分の人生を見つめる時でもあります。神はあなたのために道を備え整えておられるのです。主イエス様が備えておられる将来の祝福を信じて、今日、喜び、感謝しながら歩んでまいりましょう。祝福はあなたの前に置かれているのです。

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