「決してあきらめない」
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
(へブル10:35)

仕事柄、いろいろな人の問題や悩みを伺います。その中身は千差万別です。病気、経済、夫婦や子供など家族の問題。人間関係、仕事、生きがい、結婚など。数え上げればきりがありません。自分の期待とかけ離れた現実が受け入れられずに悩む場合もあります。お話を聞いていると本当に大変だと思うような深刻な問題もあります。ときどき、問題ではないように思うことを問題にしてしまう人もいます。でも、それもその人にとっては悩みには違いないのです。
クリスチャンとて例外ではありません。神を信じているから問題がないというのはどうも嘘っぽいです。ただ悩みを通して神の恵みを知り、自分が砕かれ、成長の糧となるということは事実です。また試練や苦しみは私たちをより一層神を求めさせ、近づかせてくれるのです。神の偉大な力を知る大きな土台となるのです。ですから、悩み相談を受けても、心がけていることがあります。それはどんな状況でも、「決してあきらめない」ということです。
今は天に召されておられますが「ちいろば(小さなろばの子)牧師」の愛称で知られ、アシュラム運動を推進された榎本保郎牧師がかつて言われたことがあります。
「信仰とはあきらめないことである。あきらめるのはすでに罪である。あきらめるということほど大きな不信仰はない。全知全能の神を信じるのは、どんな状態にあってもあきらめないで、望みをもって生きていくということである。それが信仰である。どこに望みがあるのか。神にあって望みを持つのである。」
私たちはもう一度、全知全能の神を信じていることを再認識いたしましょう。問題と自分との間に、全知全能の神様を見るのです。そうして信仰をもって問題を見るようにしたいと思います。「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」とへブル人への手紙の著者は語ります。神を信じる信仰の確信を投げ捨てないようにしましょう。それは必ず大きな報いをもたらせるのです。
私たちだけが一人で苦しく悩んでいるのではありません。キリストも同じように苦しみを受けられました。「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」(へブル5:7)とあるように、キリストも十字架の苦しみを涙と祈りをもって乗り越えていかれたのです。それゆえ死から復活されたのでした。このキリストが私たちのためにとりなしをしてくださっています。
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(へブル4:6)との勧めに従って、全知全能なる神様に近づこうではありませんか。必ず神が働いてくださり、御業を表してくださいます。私たちは神の子供とされているのですから。