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NO.585  2019.11.03

「幸いな人」

 

私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし(にもかかわらず)私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。(詩篇73:21-23)

 

先週31日木曜日、福島の蓬莱キリスト教会において「2019二つの翼日本祝祭」が開催されました。北海道から東日本の各地から260名を超える方々集いました。韓国プサンのプンソンハン教会の主任牧師であり二つの翼宣教会の主幹であるキムソンゴン牧師先生がメッセージを語ってくださいました。
祝祭において語られたメッセージは「幸いな人」というタイトルで、詩篇73篇から励ましのメッセージでした。詩篇の作者の置かれた状況を、私たちの状況と重ね合わせながら伺いましたが、大きな慰めと力を受け取ることができました。
この詩篇の作者は大きな困難に直面していました。まさに「心が苦しみ」「内なる思いが突き刺された」のでした。希望が失われるような激しい苦難が襲ったのでしょう。何か剣で心が刺されたような痛みと苦しみを覚えたのです。そして、我を失ってしまいました。
愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。」と自分の状態を表現しています。自分を見失い、自分で何を言っているのかわからないほど動揺し、神の前に獣のように泣き叫んだのです。
私たちはみな弱さを持つ人間です。強いようでも思いがけない、想定しない状況が襲ってくると堪えがたい状況に陥ったりするのです。聖書は決して人を美化していません。弱さのある、時に自分よがりの罪びとに過ぎないことをそのまま表しています。
しかし、そのひどい事態がひとつの接続詞で一変するのです。「しかし」とは英語で「nevertheless」(にもかかわらず)と訳される言葉です。自分を見失い獣のように荒れている自分でした。が、しかし、にもかかわらず、「私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。」と告白しています。苦しみの中にいるにもかかわらず、神様は私たちを見捨ててはおられないのです。混乱して、神様の存在さえ遠く感じられるときでも、神様は共にいてくださるのです。それどころか、自分の右の手をしっかりつかまえていてくださるのです。神様の執念ともいえる愛です。
わたしたちにはこの「にもかかわらず」の神様の愛があることをしっかりと覚えたいと思います。私たちの状況によって神様の愛は変わることはないのです。いやそれどころか、私たちの状況が悪くなればなるほど、神様は私たちをしっかりと握って決して手放したりはなさらないのです。
時にはこの神様の愛の御手が感じられないかもしれません。でも心配はいりません。あなたが手を放していても、神様は決して手を離したりはなさらないお方です。もしあなたが苦しい試練の中にあるなら、そのなかでも、しかし、にもかかわらず、それでも、主はあなたとともにおられ、あなたの手を決して離されはしないことを信じようではありませんか。あなたは神にあって「幸いな人」なのです。

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