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NO.575  2019.08.25

「依存体質から脱却しよう」

 

病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した (ヨハネ5:7-9)

 

1961年1月、第35代アメリカ合衆国大統領になったジョン・F・ケネディはその就任演説の最後に自国民と世界の人々に対して語った言葉は有名です。
「米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。」
このケネディの言葉は、今も私たちが傾聴に値する言葉です。国は国として国民が安心して暮らせる環境を整える責務があるのは当然のことでしょう。しかし同時に私たち自身も、国や他者に依存して生きるのではなく、自らしっかりと自立して生きるようにすることが必要です。そうすることでひいては国や他者に貢献できる素地が生まれてくるのです。
受けることばかりに意識が向いてしまうと、他人任せ、人任せの人生となり、依存体質を作ってしまいます。また、思うようにならないと、不平不満が出て来るのです。意識が自分ばかりに向いて、人に対するいたわりは生まれてこないのです。そして誰も私を助けてくれない。という被害者意識が芽生えてきたりするのです。
聖書にも38年間ベテスダという池のそばで、ずっと寝たきり状態の病人の話が出てきます。イエスは彼がもう長い間伏せっているのを知って聞かれます。「よくなりたいか」と。
しかし彼はよくなりたいという言葉ではなく、「池の中に私を入れてくれる人がいません(池がかき回されるとき最初に入った人は癒されるという言い伝えがあった)」「行きかけると、もうい他の人が先に降りて行くのです。」 こうして彼は38年間も同じ状態で過ごしてきたのです。
人に依存して生きていたのでは、新しい人生は開けていきません。イエスはその壁を打ち破られました。彼に「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」とイエスが命じられると、彼はすぐに直って床を取り上げて歩き出したのです。
信仰はイエスの言葉に従って生きることです。イエスの言われるように行動することです。人を見るのではなく、神を見るのです。イエスの言葉は床に伏せっている現実から、立って歩く自立の道へ導かれて行くのです。一瞬にして彼は良くなり、38年の病気から解放されるのでした。
私たちはどのような言い訳をしているでしょうか。私たちの口癖をチェックしてみてください。私のことを正当に評価してくれない。励ましてくれない。助けてくれない。声をかけてくれない。あの人は、この人は、そう言っている間は何の変化も起こらないでしょう。しかしイエスの言葉を信じて、立ち上がるのです。
イエスは私たちのことをよく知っておられ、助けの言葉を今日もかけてくださっているのです。「よくなりたいのか」「よくなりたいです」そう言って一歩踏み出して行こうではありませんか。

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