「聖書的視点を身に着けよう」
「初めに、神は天と地を創造した。」(創世記1:1)

10日間のゴールデンウィークの最終に近づいていますが、どのように過ごしてこられたでしょうか。長い休暇で休み疲れを覚えてしまっている方もおられるかもしれません。
教会では5月1日~3日まで山梨の清里において毎年恒例のバイブルフェロシップが開催されました。二日目と三日目は快晴となり、自然に親しみながら、神のみ言葉に触れることができました。
特に今回は市川グレースチャペルの平塚修久牧師先生を講師に、私たちの信仰の土台を据えるための学びをすることができました。
平塚先生が用意してくださった4回の研修内容は私たちの信仰の土台となる、キリスト者としての価値観を身に着ける素晴らしい学びの時となりました。創世記1章から3章までの神の天地創造、人の創造、人の堕落と贖罪(回復)について深く学ぶことができました。以下、要約の一部です。
① 「初めに、神は天と地を創造した。」
聖書は科学と違う観点から世界を説明しています。科学は世界の現象がどのように起こっているか。また、宇宙の起源や仕組みについて説明しようとします。しかし、聖書は宇宙や人間が造られた「意味や目的」の観点から説明しているのです。創世記1章は、科学が対象としている世界について、科学とは全く無関係ではありませんが、科学的観点からは説明できない存在の意味について教えているのです。ですから、聖書は科学と聖書は互いに対立するものではなく、補い合い補完し合う関係であることを理解することが大切であることを教えられました。神が天地宇宙を創造されたという宣言から、神の創造の意味と目的を知ることができるのです。
② 「神は人をご自身のかたちに創造された」(創世記1:27)。
人は、神のかたどって創造されましたが、それは「人格」を持つ存在として造られたことを意味しています。今回、人格とは「自由に愛する能力」であると教えられましたが、まさに名言だと思いました。
人間には、「自由が与えられており、自ら神と向き合い神との愛の関係に生きるために造られた。」のです。この人格にこそ「人間の価値(尊厳)」があるのです。神のかたちに造られた人間は、何ができるとかできないかではなく、見た目でもなく、「存在自体に価値があって尊いものである」と聖書は教えているのです。
③何のために天地、人が創造されたのでしょうか。天地は神様の栄光に満ち、神の栄光を賛美するために存在しています(詩篇19:2;148:13)。また人間の主な目的は神の栄光を表し(Ⅰコリント10:31;ローマ11:36)、永遠に神を賛美する(詩篇73:24-28;イザヤ61:10)ことなのです。
私たちは様々な視点で人生を見、世界を見ています。どのように見るかで私たちの人生は全く違って見えてきます。はっきりしていない人生観はぼやけた人生観や生き方になってしまいます。
聖書的世界観や価値観を身に着けることで、キリスト者として、この世の中で、力強いぶれない生き方をすることができるようになることを覚えたいと思います。