「必ず道は開ける」
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(Ⅰコリント 10:13)

東京オリンピックのメダル候補だった競泳女子の池江璃花子選手が自ら白血病であったことをツイッターで告白し日本中に大きな反響を呼んだことは記憶に新しいことです。
また、その後のツイッターで「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています。もちろん、私にとって競泳人生は大切なものです。ですがいまは、完治を目指し、焦らず、周りの方々に支えて頂きながら戦っていきたいと思います」と書き込み、彼女の前向きな姿勢と芯の強さに、多くの共感と感動をもたらしました。
多くのクリスチャンからは上記の聖書箇所を知っているため、池江選手もひょっとすればクリスチャンではないかという声も聞こえてきます。その正否は定かではありませんが、信仰の有無にかかわらずこのみ言葉が多くの人たちの励ましや助けになっていることは間違いのないことです。
私たちキリスト者ももう一度このみ言葉をしっかりと受け止めたいと思います。イエスを信じる者にとっては、この聖書の言葉は慰めや励ましのことば以上のものです。それは、生きる確信であり、現実の神様の約束のことばなのです。
私たちはそれほど強くはありません。自分が頑張らねばと思えば思うほどストレスと圧迫を覚えるものです。また試練に耐えられないかもしれないという恐れが襲ってきます。しかし、イエスキリストと人格的な結びつきを持つ者にとってはこのみ言葉は大きな生きる力となります。キリストが私たちと共にいて導いてくださるからです。
信仰は自分が頑張るのではなく、神様にゆだねることです。頑張れない自分があっても、弱さがあってもよいのです。大切なのは私たちを強めてくださる神様がおられるということなのです。ですから私たちはこのお方にすべてをおゆだねすればよいのです。
神の前では赤裸々に泣いても構わないのです。正直であってよいのです。その中から神様がともにおられるということに目が向けられ、イエスに信頼するように導かれていくのです。
神様は決して耐えられないような試練には会わせられません。言い方を変えれば、耐えられる試練しか来ないということでもあるのです。また同時に耐えることのできるように、神様は脱出の道も備えておられるのです。
時には手探りで生きているように思える時もあるでしょう。しかし、神様のみ言葉がリアルに私たちに語り掛けてくださり、神との交わりを実感できるのです。その時神様との距離が一層近く感じられるようになるのです。そうです。あなたの道は必ず開けてくるのです。