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NO.547  2019.02.10

「神のみこころに従う」

 

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 (ローマ12:2)

 

以前私の知人を訪問したことがありました。彼は家に引きこもって一年が過ぎようとしていました。少し気分転換にでも、軽い散歩をしてみたらどうですか。と提案するのですが、人と会うのが怖いというのです。特に近所の知り合いの人に会うとどう思われているかということが気になって仕方がないらしいのです。
「人は人、自分は自分だよ。意外と自分が思っているほど人はあなたのことを思ったりしていないよ。」そういえば言うほど、体が動かなくなって苦しいようです。何度かお祈りに通っているうちに、少しづつ外に出られるようになりましたが、完全に社会復帰するには数年は要することになりました。
元気な時はそれほど思わないのですが、ストレスや様々な問題を抱えると人と会いたくなくなるものです。そんな時、自分を動かしている行動基準は何なのかということが改めて見えてくるのです。自分の行動の基準は周りの人や環境であって、それに合わせて動いているのです。その中には人が見ているからちゃんとしなくてはと言うものもありますし、その人の立場や役割があってそれをこなすことで自分の存在意義を見出しているのです。確かに役割や立場も大切ですが、それが自分の価値基準になってしまうと、できている時はオーケーなのですが、それができていないとダメ出しを自分でしてしまうことになります。
私たちの行動基準はその人の持つ価値基準から出てきます。どのような価値基準を持っているかで行動も変わってくるのです。神を信じるとは私たちの価値基準が神との関係においてとらえられるようになることを意味します。すなわち、神の前に私たちの存在は尊い存在であるという存在価値(Being)です。行動(Doing)に価値基準を置いていると浮き沈みの多い生き方になってしまいます。なぜならいつもいつも正しく、納得のいく行動はできないからです。
しかし神様との不変な愛の関係が土台にありますと、行動も思い切ってすることができます。チャレンジすることが喜びであり、たとい失敗してもまたチャレンジすればよいと思えるのです。一つの行動で一喜一憂することがなくなってくるのです。
聖書は「この世と調子を合わせてはいけません」と言っています。それはこの世の価値観に流されないようにということです。「むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」 この聖書のメッセージに従い、神に問い聞く生活を実践していきましょう。み言葉が私たちの価値基準です。この価値基準に自分の生き方を合わせていこうとすることがクリスチャン生活の基本です。聖霊様が私たちの心を探り導いてくださいます。ただ一つ言えること。それはあなたは神様に愛され、支えられ、祝福を受け継ぐものとされているという事実です。ですから何も恐れるものはないのです。

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