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NO.545  2019.01.27

「目に見えないものを信仰で見よ」

 

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(へブル11:1)

 

西洋では「黒い白鳥を探すようなものだ」ということわざがあったそうです。それは、白いから白鳥なのに、黒い白鳥、すなわち黒鳥がこの世にいるわけはないとみんな思っているので、難しいことや不可能だと思えることをする人に対して、「黒い白鳥を見つけるようなものだ」というのだそうです。
しかし、なんと1697年に、オーストラリヤで黒い白鳥(黒鳥:ブラックスワン)が実際に発見され、当時驚きをもって迎えられたのでした。この発見によって、「黒鳥を探すようなものだ」の意味も「常識を疑うこと」、「物事を一変させること」、「自分を絶対視しないこと」の象徴として使われるようになったのだそうです(ウィキベデディアより)
これと同じようなことが私たちの歩みの中でも起こっているのではないでしょうか。何か新しいことに挑戦しようとすると、周りの人がみんな賛成するかというとそうではありません。むしろ批判的な意見や無理だという人もいます。やめておけ、ばかなことをするな。周りを見てみろ。などなど、様々な声が聞こえてくるものです。ではそれらの常識的な声を聞いていれば、満足できる生き方ができるでしょうか。そのような生き方には何のチャレンジもありませんし、ワクワクする感動もないでしょう。何をするにも多少のリスクはつきものなのです。
イエスキリストがこの地に来られて「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われたとき、自分の常識や偏見でイエスを見ていた人たちは、「大工の子ではないか」「ガリラヤ出身ではないか」と言ってイエスを受け入れることはできませんでした。
しかし、人々に虐げられていた人たちや、人生を変えたいと願っていた人たち、ダイナミックな神の国を待ち望んでいた人たちは、積極的にイエスに従い、イエスに触れられ、神の国の恵みの中に突入していったのです。
私たちも、信仰の目をもって自分の人生を見ようではありませんか。周りのだれもが信じてくれなくても、あなたが信仰の目をもって神様の備えてくださる豊かな人生を見続けることができるなら、そのような人生が信仰によって展開してくるのです。目に見えないものを信じて見る目、信仰の目を培っていきましょう。
今、あなたは何が見えていますか。常識や偏見に支配されていませんか。難しい、だめだと現状から判断していませんか。イエスキリストにより、神の可能性を信じましょう。病に対しても、人生の困難に対しても、信仰によって立ち向かっていきましょう。確かに現実は苦しい、それが事実かもしれません。それを否定することが信仰ではありません。しかし、現実を認めつつも、神の可能性を信じ、神の国の現実がこの世界に突入してくることを信じるのです。
そしてそれを現実にもたらす働きを置かれているところでしていこうではありませんか。信仰により「黒鳥を見出す」者となりましょう。

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