「最高のプレゼント」
今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2:10b-11)

メリークリスマス!クリスマスおめでとうございます。
本日のクリスマスセレブレーションを愛する皆様とご一緒に持てますことを心より感謝をいたします。クリスマスは何か心がワクワクする時でもあります。クリスチャンにとってお正月以上に大切なクリスマスは、その意味をしっかりと私たちの心に受け止め、刻むときと言えます。なぜなら、神が私たちに最高のプレゼントであるイエスキリストを送ってくださったからです。
もしイエスが来られなかったらと考えてみてください。どうなっていたでしょうか。
私たちは今もなお罪の中に縛られていることになります。旧約時代のように救いは神の律法を守ることで得られるとするなら、行いによる救いであり、その人の善行が救いの条件となります。しかし、だれも神の戒めを完全に守ることはできないのです。私たちは、今もなお、絶えず罪の力に押しつぶされそうになりながら、恐れや不安を抱えて生きなければならないことになるのです。
しかし、神に感謝すべきことは、神は私たちを罪の縄目から解放するために、ひとり子イエスキリストを私たちのところに送ってくださいました。それが神の愛の表れであり、クリスマスなのです。
行いではなく、神のプレゼントであるイエスキリストを信じる人に与えられ、何の差別もないのです。このお方は、私たちの罪の身代わりとなられ、恵みによる赦しと解放を与えてくださったお方なのです。例外はありません。聖書のクリスマスストーリーは、どんな人でも神の恵みを受けることができ、誰一人として排除されないことを示しているのです。
この救い主誕生の喜びの知らせはまず羊飼いに知らされました。羊飼いは社会の底辺にいる人たちです。市民権を持たず、自分の生活で手いっぱいの人たちでした。一般の人たちが味わう生活の豊かさとは無縁の人たちでした。しかし、彼らは心まで乏しくはなっていませんでした。自分たちの置かれているところで精一杯生きていたのです。その彼らにみ使いたちは喜びの知らせを伝えたのです。
み使いは「私はこの民全体のための素晴らしい喜びを知らせに来た」と伝えました。民全体のための喜びです。一部の人たちではありません。すべての人たちがこの喜びの知らせの中に入っているのです。そうです。あなたも、私もです。それを素直に受け止める者となろうではありませんか。
たとえ、私には本当の友はいないと思っていても、イエスキリストはあなたの友となってくださるのです。あなたの寂しさや経験を共有し、その愛を注いでくださるのです。また、私の人生は意味がないと生きる気力をなくしている人のところにも、イエスキリストは来てくださるのです。一緒に人生を歩んでくださり、生きる目的を与えてくださるのです。
生きることが喜びとなり、恵みとなるのです。生かされていることに感謝できるようにしてくださるのです。イエスキリストこそ最高の贈り物であり、プレゼントです。このお方と共に人生を歩んでいこうではありませんか。