閉じる

NO.539  2018.12.16

「信仰の目を養う」

 

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(へブル人への手紙12:2)

 

長寿番組に「何でも鑑定団」というのがあるのをご存知でしょう。家にある「お宝」を持ち寄って、その道の専門家に鑑定をしてもらうのです。掛け軸、つぼや皿、絵画、彫刻、おもちゃ、有名人のサイン入り色紙など、その分野も多岐にわたりますが、専門家が見ると、それが本物か模造品かがわかるというのです。
実際、代々家に伝わった物で、祖父からこれは家の宝だからと言われて、大事にして持っていたつぼを鑑定してもらうと、数百万円はするだろうと思っていたのが、数千円の模造品であったとか。もちろんその反対に、予想外の高値がついて大喜びということもあります。
たまに私も番組を見ながら、そういえば昔住んでいた田舎の蔵にはお宝になりそうな掛け軸や古い大皿があったなと思ったりします。それがあると…と淡い期待をするのですが、もうその蔵も掛け軸も手元にはないので、夢のまた夢です。
私たちは鑑定士が骨董品見る目を養っているように、信仰の目を養うことが大切です。鑑定士に「本物と偽物とをどのように見分けるのか」と聞くと、まず言われることが「本物をいつも見る」ということです。本物を見続けていると、別のものを見てもその区別がつきやすくなるのです。
私たちも信仰の目を養うためには「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さない」ということです。イエスが私たちのすべてです。イエスはどう生きられ、何を教えられ、どのように最期を遂げられたか。そしてどう生きることを願っておられるのか。イエスとの交わりが中心なのです。イエス中心、それが私たちの信仰の目です。
では、具体的に、信仰の目を養うためにどうすればよいのでしょうか。まずは、祈りです。神様との交わりを通して、私たちか神様のみこころに聞く習慣を身につけましょう。自分の願望を一方的に訴えるだけではなく、そこから進んで、神様の導きを求めるのです。神のみこころを求め、それに従うのです。
また、次にイエスの語られたみ言葉に絶えず触れることです。聖書を通して自分の生き方を振り返るのです。聖書を基準として、この世を見、人生を見、起こってくる出来事を見る習慣をつけるのです。聖書の価値観こそ私たちが絶えず身に着けるべき信仰の目なのです。
永遠のベストセラーと言われている聖書が私たちに与えられているのは天の恵みです。もしこの聖書がなかったなら、私たちの生き方は自分よがりになったり、右に左にぶれてしまう生き方になってしまったことでしょう。
新しい年に向かって私たちも信仰の目を養いたいと思います。み言葉に集中する通読の試みにチャレンジしたいと思います。また追ってお知らせをいたしますが、聖書に親しむ95日間を企画しています。あなたもご一緒にチャレンジしてみませんか。信仰の目を養いましょう。

閉じる