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NO.537  2018.12.02

「成長には時間がかかります」

 

地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。(マルコ4:28-29)

 

昨日、1カ月実家に戻っていた次女と生まれた孫が嫁ぎ先に帰っていきました。一カ月経つと丸々と太って、5キロを超える体重になっているのではないかと思います。今は、お乳を飲むと後はよく寝てくれるので、初ママさんの次女は助かっているようです。
先日は寝顔を見ていると急に笑い顔になり、何か夢でも見ているのかなと思ってしまいました。孫を見ているといろいろな表情やしぐさをしてくれるので飽きることがありません。一カ月でいろいろな成長が見て取れるので、その成長の早さに驚くばかりです。
しかし、成長の早さが早いとは言いますが、他の哺乳類と比べると、その成長の度合いは極端に遅いと言わなければなりません。以前、田舎に住んでいた時、実家で牛を飼っていました。その時、子牛が生まれるのに何度か立ち会いました。子牛の赤ちゃんは生まれると数十分でよちよちながら歩けるようになります。半年もすればもう立派な成牛となるのです。
それに比べて人は成人になるまで20年近くかかってしまいます。親の手を借り、周りの人たちの助けを受けながら成長していくのです。本当に手間がかかります。肉体の成長だけではありません。精神的な成長はもっと時間がかかると言ってよいでしょう。人は、生涯かけて人は成長していくと言っても過言ではありません。
イエス様は天の御国を種に例えて話されました。蒔かれた種は芽を出します。それから成長して、苗、次に穂、穂の中に実、そして実が熟するとかまを入れるというのです。天の御国は成長して熟していく過程があることを教えておられます。
それは私たち一人一人の成長にも同様に当てはまるのです。人の成長は一朝一夕にはいきません。動物のようにすぐに歩けるようになるわけでもありません。時間をかけて成長するのです。成長のためには様々な人の手がかけられなければなりません。
信仰生活の成長の歩みは何年もかけた歩みです。促成栽培のようにはいきません。じっくりと時間をかけ、あきらめず、忍耐をもって成長が促されなければならないのです。
ときどき、自分を見ていると成長の遅々とした経過に、なんと成長の遅いことかと、しびれを切らしてしまいたくなるかもしれません。しかし、私たちのために忍耐してくださってイエスキリストのことを覚えて、忍耐をもって踏ん張りたいと思います「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル 10:36)とある通りです。
神様は私たちの成長を期待しておられます。聖霊様を送られて私たちの成長を促したり、助けたりしてくださるのです。決して神は私たちのことをあきらめたりはされません。私たちが成長することでますます福音が前進していきますようにお祈りをしてまいりましょう。

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