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NO.534  2018.11.11

「エゴイズムから脱却しよう」

 

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(ピリピ2:4)

 

先日、弟子学校の学びの中で「人生征服」(キムソンゴン著)という本の分かち合いをいたしました。本の中に「利己心を克服する」という項目があり、人がいかに利己的であるかという例話が記されていました。
「他人が信号を違反すると破廉恥。自分が信号を違反することはやむをえない急な事情があるため」。
「他人が割り込みをすると恥知らず。自分が割り込みをすることは急いでいるので、あり得ること」。
「他人が公共の場所で大きな声で話すと騒音。自分が大きな声で話すことは、愉快な対話」。
「他人が学校を頻繁に訪ねることは、モンスターペアレンツ。自分学校を頻繁に訪ねることは、高い教育熱」
「嫁が自分の実家の親にポケットマネーをあげるのは、夫に内緒で金をこっそり引き抜いて隠す行為。自分の娘が自分にポケットマネーをくれるのは親孝行」。
「嫁が夫婦喧嘩をすると、女の方が我慢すべきである。自分の娘が夫婦喧嘩をすると、夫であっても言いたいことは言え」。
「他人が自分の意見のみを主張すると、頑固で融通がない。自分が自分の意見を主張すると、はっきりした信念」。
「他人が浮気をすると不倫。自分がするとロマンス」。(「人生征服」34p~35p)

なんと人は自分中心であるかということの例ですが、確かにうなずけることばかりではないでしょうか。しかし、この利己心が、様々な共同体を壊すことになるので気を付けなければなりません。夫婦だけでなく、家族。会社。隣人。教会。など共同体のどこにおいても、その関係を壊し、争いを起こすもととなるのがこの利己心なのです。
聖書は、教会をキリストの体と表現しています。キリストをかしらとして、私たちはその体の一部分なのです。一人一人の存在は体を形成する器官として大切なものです。一つとして不必要なものはありません。それぞれのユニーク性と特徴を持っているのです。しかし、同時に、この体がかしらであるキリストの指示に従って同じように動いてこそ、統一された生きた共同体として機能していくのです。頭で指示を出しても、手や足がバラバラに動いてしまったら、体として成り立つことはできません。
多様性(バラエティー)があると同時に、統一性(ユニティー)があってこそ、キリストの体は機能するのです。そして互いが補完し合いながら、サポートされて、成長していくのです。
イエスは自己中心ではありませんでした。利他中心でした。自分のことよりも他の人のことを顧みられました。自分のいのちを犠牲にすることによって、私たちを罪の中から救い出してくださったのです。
このキリストのこころをこころとして生きようではありませんか。自分の中にあるエゴイズムに気づかされながら、神の前に悔い改め、主に従っていく者となりたいと思います。
「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」とパウロは語り、イエスも「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と語られました。そばにいる人に思いを寄せ、その方のために祈って差し上げましょう。自分のエゴを主張するのではなく、他者のことも顧みましょう。
教会が一つ心になって神と人に仕えていくとき、神様は偉大な御業を現わしてくださいます。「同じことば、同じ思い、同じ志」で前進していこうではありませんか。

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