「知らず知らずのうちに」
「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。(ヨハネ黙示録5:15)

今年の暑さは尋常ではありませんでした。東京も38度を記録したほどです。体温よりはるかに高いのですから、高熱にうなされているような感じですし、熱中症になってしまうのもわかります。
夏に悩まされる蚊も、気温が35度を超えると活動が極端に鈍ってしまうのだそうです。そういえば今年はあまり蚊に刺されることがありませんでしたが、それはこの暑さのせいだったようです。殺虫剤や防虫剤も今年はあまり売れなかったそうです。
ところで、私たちの信仰の活力は維持されているでしょうか。信仰の歩みが鈍くなっていたり、以前のような熱心さが失せてしまっているということはないでしょうか。私たちの心のあり様や霊的状態は目に見えず、自分の弱っている状態が認識できにくいので大いに気を付けなければなりません。
知らず知らずのうちに弱ってしまってしまうのが私たちの霊性でもあります。何がそのようにさせるのでしょうか。様々な要因が考えられます。
その第一は、日々の生活の忙しさです。毎日仕事や雑事に追われていると、大切なことだけど緊急を要しない事はどうしても後回しになってしまうのです。次々とやってくる雑事に終わりはありません。しかしそのような時にこそ、しっかりと神様との交わりを絶たないようにいたしましょう。
マルチンルターは宗教改革で忙殺される毎日でしたが、「私にはあまりに沢山の仕事があるので一日3時間祈らなければどうしてもやっていけないのです。」と言ったそうです。忙しいから時間がないのではなく、忙しいからこそ祈りを確保する。礼拝を確保することにチャレンジいたしましょう。
第二は私たちの価値の優先順位です。時間があるから信仰に熱心になるかというとそうではありません。逆に時間が余ると自分の興味があることに時間を使ってしまうのです。ある人は趣味に時間を使います。自分にとって価値があることに時間やお金、財を投じることになるのです。もちろんそれがだめだというのではありません。永遠のいのちにかかわる神様との関係に優先順位が置かれるようになることが第一となることが大切なのです。
教会に来られてまだそれほど時間のたっていない方が、聖書を見せてくださいました。その聖書は線が引かれ、付箋が貼られ、メモがたくさん書かれていました。「聖書を読んでいると時間がたつのを忘れます。」そう語られる顔は喜びがあふれていました。私たちも聖書の中に命のいずみを見出そうではありませんか。
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」(Ⅰヨハ 2:16)と聖書が語っていますが、この世の風潮に流されないようにいたしましょう。サタンは私たちの目をこの世やその楽しみに向けさせようとします。いつも目を向けるべきお方はイエスキリストなのです。このお方は私たちを祝福し恵みにあふれさせてくださるお方なのです。