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NO.520  2018.08.05

「交わりの右の手」

 

そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパ(ペテロ)とヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人びとのところへ行くためです。(ガラテヤ2:9)

 

ガラテヤ人への手紙はパウロの個人的な告白が含まれた手紙です。当時、ガラテヤ教会が直面していた福音理解の食い違いを正すためにパウロが教会にあてて書いた手紙です。その中でパウロはエルサレム教会の中心的人物であるヤコブとペテロとヨハネとの関係について触れています。
当時、諸教会の間では、ヤコブたち三人は使徒の中でも長老的立場にあり、絶大な影響力を持ち、人々から信頼を受けていた人たちでした。一方、パウロはかつてはキリスト者迫害の急先鋒であり、そこからキリスト者に劇的に回心した経緯がありましが、彼の過去ゆえ、まだ十分に諸教会からの信頼を受けていたとは言い難い状況でした。しかも、異邦人に福音を伝える先駆者として、パウロは目覚ましい働きをしていましたので、ユダヤ人クリスチャンの中にはパウロに対する懐疑的な見方をする人たちもいたようです。
パウロはそれらの人たちに弁明する形で、ヤコブたち自身が、パウロたちの働きを認めて、「交わりのしるしとしての右の手」を差し伸べてくれたと言っています。
交わりの右の手とは、すなわち握手のことです。握手をするということは何を意味するのでしょうか。それは単なる挨拶だけにとどまらず、友好のしるしであり、聖書が言うように交わりのしるしです。また和解のしるしでもあります。その昔、握手は、武器を隠し持っていないことを表わすいみもあったとも言われています。
パウロはエルサレムの重鎮たちが進んで交わりの右手を差し伸べたことを語りながら、これこそ、互いがそれぞれの働きを認め合っていることのしるしであり、和解のしるしであると伝えているのです。信仰の先輩たちもパウロたちも、それぞれの働きの違いはあってもそれを認めあっているところに、彼らの謙虚な信仰の姿勢が示されています。
互いの交わりを阻害するものとはどのようなものでしょうか。自分の正しさに固執し、相手にそれを強要することもその一因となります。あるいは、自分の面子にこだわることもあるかもしれません。プライドもそうでしょう。あるいは嫉妬や妬みもあるかもしれません。しかし、それらは百害あって一利なしです。
交わりのしるしとしての右手を差し出す。簡単なようでなかなか難しいものです。勇気や決断が必要な時もあります。自分の固執しているものを手放すことも必要です。しかし、神が願っておられること、それは右の手を相手に差し出すことなのです。
どちらからすればよいのでしょうか。それはあなたや私からです。特に地位のある人や上に立つ人なら、まずその立場にある人たちからそうすべきです。なぜなら、イエス様ご自身が、まず天の御座を去って私たちのところに来られ、まず私たちの足を洗われ、まず十字架にかかって死んでくださったのです。自ら交わりのしるしとしての右の手を差し出す時、新しい関係がそこから生まれてくるのです。

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