「決して見捨てられないお方」
主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
(ヨハネの福音書4:3-4)

7月3日から8日にかけて、大変な豪雨が西日本一帯を襲いました。各地で土砂災害や堤防の決壊、大雨による洪水など甚大な被害が出ました。平成30年7月豪雨と命名されるほどの大水害となり、死者行方不明者は合わせると250名近くにまでなってしまいました。
わたくしの郷里は愛媛県の大洲市ですが、一級河川の肱川が決壊し、多くの家が水につかり、農作物は壊滅状態になっています。わずか一日で一年の三分の一ほどの雨が降ったと言われています。山沿いではダムの放流も加わって一挙に洪水が民家を押し流し、多数の犠牲者が出ました。
一昨日は神戸にいましたが、神戸市郊外の六甲でも、土砂崩れなどの被害があり、逆にニュースで取り上げられないために、いまだ手付かずの状況になっているところがあるということでした。恐らくまだ全体の被害状況が把握されていないところもあるのでしょう。見過ごされていたり、救援が及ばないところもまだ残されているようです。一日も早い復旧を祈りたいと思います。
本当に人生には様々なことが起こります。思いがけない苦難や想定外の出来事に立ち往生したり、途方にくれたりします。そんな時、そばにいて助けてくれる人がいたら、どれほど慰められ、生きる力を得ることができるでしょうか。キリストの教会はそのような方々を絶えず覚えて、福音を通して、救いと解放を届ける使命を担っていかなければなりません。
まさにイエス様はそのようなお方でした。人々が非難の指をさし、孤独で寂しい生活をしている人を決して見捨てられませんでした。聖書を見るとイエスはガリラヤに向かわれる時、「しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。」と記されています。ほとんどのユダヤ人たちが、エルサレムからガリラヤを通っていくときは、サマリヤを迂回していました。彼らはサマリヤの人たちと仲が悪く、関係を持ちたくない事情があったのです。ですから一番敬遠をしたのがサマリヤでした。
しかしイエスキリストはサマリヤを通っていかなければならなかったのです。この強い表現から、イエスの目的が見えてきます。イエスがサマリヤに行く目的は、サマリヤの女性に会うためでした(ヨハネ4章)。この女性は不幸な結婚生活をしていました。すでに5回の結婚をしていたのです。ですから彼女は周りの人たちには相手にされず、寂しい孤独な生活を送っていたのです。
イエスは彼女との会話を通して、心の渇きを知り、救いの御手を伸べられたのでした。サマリヤの女性はイエスに出会い、人生の渇きを癒され、人々に証をした結果、驚くべきリバイバルがサマリヤの町に起こったのでした。
私たちも例外ではありません。私たちの渇きをいやすことができるのはイエス以外におられないのです。イエスはそのために今日あなたに出会ってくださるのです。あなたは覚えられているのです。