「真の友は誰?」
人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 (ヨハネ福音書15:13)

ある有名な歌手が「孤独には本当に耐えられない。さみしくて仕方がない。」そう書き残して命を絶ったそうです。 彼には名声も富も有り余るほどありました。もちろん友達と呼ぶ人もいたでしょう。しかし、自分の心を打ち明けることができる真の友がいなかったのです。
この人といれば自分には得だからと、つながりを求めてくる人もいるでしょう。実際、この世の多くのつながりはそのような関係が多いかもしれません。そのような関係は自分中心の関係ですから、自分にとって不利益だと思うと関係は切れてしまいます。また自分の期待に応えてくれないと関係が冷めてしまいます。
真の友とはどのような人でしょうか?それは相手中心、他者中心に考えることのできる人です。損得で友達になるのではなく、また友達だからと自分の要求を相手に求めるのではなく、相手の益になることは何か。何を相手は望んでいるか。そのことをおもんばかることのできる人でしょう。
一番友を必要としている時はどのような時でしょうか。それは一番困っているときでしょう。孤独感にさいなまれている時であったり、自分の話を聞いてもらいたい時ではないでしょうか。不安や恐れを覚える時にこそ身近にいてくれる人がいたらどんなに慰められ、励まされるでしょうか。
こうしたら、ああしたらとアドバイスしたり、説教をしたりする人は多いでしょう。しかし、そばにいて祈ってくれ、話を聞いてくれるだけで人は愛を感じ、慰めや励ましを受けることができるのです。
イエス様の人々へのかかわり方がそうでした。イエスは神から遣わされた救い主ですから、間違ったことをしている人を見つ次第、罪を指摘し、説教をし、悔い改めるよう迫ったでしょうか。イエス様はその真逆でした。
人から嫌われ孤独な取税人ザアカイに、「ザアカイよ。今日あなたのところに泊まることにしているから」そう言われ、ザアカイの友となってくださいました。また、だれも近寄らない罪深いと見られていたサマリヤの女性には井戸端で会ってくださり、「水を飲ませてください」と頼まれました。誰も声をかけないときにイエスは声をかけ、水を飲ませてほしと願われたのです。
姦淫の現場で捕らえられた女性にはどうだったでしょうか。彼女を裁くように迫る人々に、「あなたがたの内で罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」と問われ彼女を守られました。そして、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われ彼女に赦しと解放を宣言してくださいました。このように接してもらった人たちはどうなったでしょうか。みな自ら進んで、生き方を変える決断をしました。そして、イエスを信じ従っていく人たちになりました。
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」というイエスのことばに、イエスの人への姿勢が現わされています。命を捨てて愛してくださるお方。そのお方がイエスであり、あなたの真の友なのです。イエスに何でも訴えてよいのです。