「自分をどの場所に置くか」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
(ローマ8:37)

東京では桜は散ってしまいましたが、札幌は雪が解けたところで、まだ開花はこれからでした。先週の札幌はかなり冷え込み、ジャケットだけでは寒くて、思わず安いウィンドブレーカーを買ってしまいました。南北に長い日本なので、同じ日本にいても、北と南のどこにいるかで季節感も随分と違ってきます。
身体的な温度差は暖かくしたり薄着になったり、エアコンの調節でしのぐことができます。しかし、私たちの心の寒暖差はそう簡単ではありません。問題がなさそうに見えても、いつも問題の渦中にいるように思えて、心寒く感じてしまっている人がいます。ある人は恐れに捕らえられていて、環境的には何不自由ないように見えても、見えない闇の力におびえて、さながら凍える冬の中にいるような思いになっている人もいるのです。
しかし、一方で、大変な環境にあるように思えるのに、前向きに希望を失わず、明るく生きておられる人もいます。もちろん葛藤を覚えないわけではないでしょう。しかし、その心の姿勢が、絶えず良きことが起こることを期待し、決して悲観的にならず、希望をもって生きる方向に向かっているのです。
神を信じて生きるとは、自分の身を絶えず神の恵みと神の御手の中に置いて生きることにほかなりません。神は私たちを愛しておられるのです。そしてその愛を、ひとり子イエスキリストを送ることで、具体的に表してくださいました。イエスキリストは、私たちの罪の身代わりとなり、十字架にかかり死んでくださったのです。そればかりではありません。私たちが負うすべての呪いや罪がもたらす鎖を十字架で追ってくださり、断ち切ってくださったのです。
パウロの言う通り「これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者」なのです。「これらすべてにおいて」とは私たちが遭遇する様々な困難であり、悩みや苦しみを指します。その只中において神様はご自身を表してくださり、私たちを「圧倒的な勝利者」にしてくださるのです。
私たちは神の手に握られていることを覚えましょう。誰も私たちを訴えて倒すことはできません。全能なる神はご自身の計画をもって私たちを導かれ、勝利者としての人生を歩ませてくださるのです。神のみ言葉の中に身を置いて、私たちの心を温かい春の季節と聖霊の風の中に置きましょう。
今日、お二人の兄弟姉妹が洗礼を受けられます。まさにお二人は神の救いと恵みの中に移され、圧倒的な勝利者としての人生が始まったのです。この勝利者意識こそ、神が私たちに持ってほしい意識なのです。それは驚くべき恵みであることを覚えたいと思います。