「よみがえりの主に会う」
イエスは彼女に言われた。
「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
(ヨハネの福音書20:16)

昨日、3年半前に天に召された一人の姉妹の納骨式をさせていただきました。その方は末期のがんを患い、46歳の若さでの生涯でした。後にはご主人と、二人のお子さんが残されました。
その子供さんたちも大きく成長しておられました。お姉ちゃんのほうは大学に合格され、弟さんの方も高校に合格し、4月から高校一年生です。
3年半ぶりにお会いしましたが、辛い時期を乗り切って、お母さんの遺志に報いたいと、受験を頑張り、それぞれ合格されたのです。短い交わりの時でしたが、今でもお母さんの温かいぬくもりをいつも感じているといわれていました。その存在は形としては目に見えませんが、二人にとってはお母様の存在ははリアルに感じられるのです。ちょうどイエスの復活をお話しながら、やがて再び信仰者は再開できることをお話しすることができました。
聖書にも深い悲しみを負った女性が出てきます。それはマグダラのマリヤです。イエスが十字架にかけられて死なれたことは彼女を悲しみのどん底に突き落としたのです。さらに追い打ちをかけるように、今度はイエスのからだが収められているはずの墓にはなく、イエスが見当たらないのです。
他の弟子たちもやってきて墓をのぞき込みましたが、空っぽの墓であることを確かめた弟子たちは事の次第を報告するために、墓を去っていきました。しかし、マリヤは墓の前で悲しみと嘆きの涙を流していました。
その時、よみがられたイエスが、マリアにあってくださいました。マリヤはわが目とわが耳を疑ったことでしょうが、イエスだとわかって、思わず「先生」と応答するのでした。マリヤがイエスの復活を目の当たりにした時でした。
私たちはイエスが死を打ち破って復活された事を祝いますが、歴史的事実として祝うだけでなく、イエスがマリヤに直接会ってくださったように、私たちもイエスに出会い、イエスの語り掛けの声を聞いて輝く希望に生きることが必要です。
マリヤは復活のイエスに直接出会うことで悲しみは癒され、希望と喜びを受け取ることができました。それからのマリヤの生き方は全く変わったことでしょう。周りの人々には主イエスは確かによみがえれたことをリアリティーをもって伝えることができたに違いありません。
私たちの人生にも生きる土台となる確信が必要です。その確信は自分の努力や考え方で得られるものではありません。復活されたイエスキリストとの深いきずなと交わりがもたらす確信なのです。イエスが絶えず私たちを励まし、語り掛け、助け、導いてくださるのです。このお方を現実にリアルに体験できるなら、私たちはもっと大胆に生きることができるようになるのです。
イエスはそのために私たちに出会ってくださいます。それが今日の復活祭の意味なのです。あなたの信じておられるイエスは今生きてそばにいてくださるのです。