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NO.395 2016.03.13

 「「神の国の価値観(1)」-罪の赦しに生きるー

 

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。
彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカの福音書23:34)

 

「なくて七癖」と言います。癖などないと思っていてもいくつかはあるということです。また、自分の癖はなかなかわからないということでもあります。
車の教習所に行っていたとき、教官から「君は運転していると左による癖があるから気をつけなさい。」と言われたことがあります。自分ではそのつもりはないのですが、客観的な目から見れば私の癖がわかるのです。さて、あなたはどのような癖がありますか。
人にはそれぞれ固有の癖や習慣があります。仕草の癖から、食事の嗜好、行動の癖があります。計画的にプランを立てる人もいれば、行き当たりばったりの人もいます。よく準備する人もいれば、ぎりぎりにならないとなかなか動かないという人もいます。それも生き方の癖です。
その人を動かす元となっているもの、それをよく価値観という言葉で表現します。その人の価値観がその人の思考を決定し、また行動に現れ、やがては人生そのものを決定すると言えるのです。これは癖よりもさらに重要な人生観を形成するものと言えます。
この世は何といってもお金がすべてだと思っている人は、その人の価値観はお金にあるので、思考や行動もお金の動きに左右されることになります。ですからどのような価値観を持つかということは非常に大切なことです。
聖書の価値観をひと言で言えば、「神の国の価値観」ということができるでしょう。この世の多くの人が持っている価値観とは大きく異なります。神を信じて生きるとは、この世の価値観ではなく、「神の国の価値観」に従い、この価値観を身につけて生きるということなのです。
「神の国の価値観」の第一、それは「罪赦されて生きる」ということです。イエスが来られた目的は、私たちの罪を赦し、救うために来られたのです。十字架でのイエスの祈り、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」は、私たちの罪を赦されたイエスの直接的な言葉なのです。
聖書が言う罪とは「私たちの考え方や生き方が常に神に背くようになってしまう傾向」のことです。神が介入されなければ、その流れを変えることはできません。イエスはその流れを自らの命を犠牲としてささげて変えてくださったのです。
この赦しに生きるものとされたことを感謝いたしましょう。サタンがどんな否定的なことを投げかけてきても、私の罪は赦されて救われているのです。過去のだめな自分や罪を見て、今の自分を判断しないことです。この世の価値観は一度失敗するとだめだというレッテルを張ります。もう人生は終わりだと決めつけます。しかし神の国の価値観は、あなたの過去は過ぎ去り、キリストにあって新しい人生に生きるようになったということなのです。
私たちは、イエスの十字架によって、罪赦され、きよめられ、救われている。このことを徹頭徹尾、信じるものとなりましょう。私たちが聞くべき声はイエスの声なのです。 

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