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NO.390 2016.02.07

 「律法と福音

 

かし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、
何の差別もありません。(ローマ人への手紙3:21-22)

 

2月21日(日)6:00PMからの夜のサンデーナイトサービスにおいて「レ・ミゼラブル」(ああ無情)を上映いたします。2012年に封切られたこの映画はミュージカルとしてアカデミー賞を受賞し、日本でも空前のヒットとなりロングランを記録した作品です。是非皆様も劇場ならぬ教会堂の大画面で迫力ある映画をご覧くださることをお勧めいたします。
特にこの作品の素晴らしさは、実際に出演者が現場で歌い撮影し録音したという点です。ほとんどのミュージカルがそうなのですが、通常、歌う曲は事前にスタジオで録音したものを現場で再生し、役者は口パクで歌うというのが多いのです。この映画は役者の迫力ある歌唱力がそのまま出て、場面と一体感のあるミュージカルとなっています。
また鑑賞するときに頭の片隅に置いて見ていただきたいテーマがあります。それは「律法と福音」です。生活に生き詰まり、盗みの罪を犯したジャンバルジャンが罪の葛藤で苦しみます。彼を逮捕して裁こうと、執拗に追いかける警部ジャベールは罪を裁く、いわば「律法」の姿です。
一方、その罪を見逃してくれた司教の赦しとまごころに彼は生まれ変わろうとします。「赦しの福音」に触れたジャンバルジャンは過去を捨て、人生のやり直しを決意するのでした。
最後のクライマックスは象徴的です。ジャンバルジャンを追っていたジュベールは自らの命を絶ち、ジャンバルジャンは罪の告白と赦し、賛美の中で天に召されていくのでした。
罪の苦しみと葛藤。罪は裁かれなければならないと主張する律法。罪の赦しの福音。結局律法は人を救えず、福音こそが人を救うことができる。そんなテーマが見て取れます。この視点を抑えながら映画を鑑賞されるなら、また違った感動を覚えることができるのではないでしょうか。
私たちの信仰とは、まさにこの「赦しの福音」に生きることです。それは罪をないがしろにして生きることではありません。罪に蓋をして、適当に生きる事でもありません。
罪の深さをしっかりと自覚することから始まります。肉の力では自らを救えないことがわかってくるのです。そのような罪人の私たちをキリストは愛してくださいました。私たちが負うべき罪をキリストは代わりに負ってくださったのです。このキリストが私たちにしっかりと向き合ってくださるのです。「わたしのもとに来なさい」と招いておられる。主の御手の中に自らをゆだねるときに、罪の赦しを受け、その恵みを体験することができるのです。
罪の赦しを受けると、人生やり直しの力が湧いてくるのです。赦されて生きる。このことがどれほど素晴らしいか。そんな私たちを聖霊なる神様は助けてくださいます。もう私たちは一人ではない。キリストが共にいてくださる。そのお方が私たちを再生させ、新しい人生へと導いてくださるのです。この福音の偉大な力を受けようではありませんか。

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