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NO.383 2015.12.20

 「クリスマスを迎える心

 

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。
それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
(ルカの福音書2:6-7)

 

メリークリスマス!クリスマスおめでとうございます。
クリスマスを迎える愛する兄弟姉妹お一人お一人に、神様の豊かな祝福がありますように心よりお祈りいたします。
イエスキリストが誕生されて、今年で2015回目のクリスマスということになります。自分の誕生日を迎えるのと違って、キリストの誕生日であるこのクリスマスを迎えるのは一味も二味も違うのではないでしょうか。自分の誕生日は年をとっていくことを再認識することが多いのですが、クリスマスの場合はキリストと自分との結びつきを再確認し、キリストの誕生の意味を深く思い返すときと言えます。
イエスが誕生されたとき、人々は誰もイエスの誕生に気づきませんでしたし、注目もしませんでした。全世界の人口調査をせよという勅令が皇帝アウグストから出ていたため、人々は何日もかけて戸籍のある本籍地に帰っていました。宿場町は人々でごった返し、マリヤとヨセフの本籍地であるベツレヘムも旅をする人々で溢れてしました。
今のように電話やウェブで予約などできる時代ではありませんでしたから、身重のマリヤを抱えてヨセフは途方に暮れていたことでしょう。長距離の移動はマリヤを産気づかせ、慌てたヨセフは何とか馬小屋に場所を見つけ、マリヤは飼い葉おけの中にイエスを産んだのでした。
「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」という言葉は当時の人々の心の状況を象徴的にあらわした言葉ととることができます。人々は自分のことで忙しく、心の余裕などなかったのではないでしょうか。
私たちはどうでしょうか。今年も巷では様々な事件がありました。私たちの身の回りにも心を騒がすことや困難な問題に直面されたということもあったかもしれません。しかしどんな状況の中にあっても、私たちの救い主であるイエスキリストを心にしっかりと受け止める時を何としても確保することが大切です。
このクリスマスはたんにキリストの誕生を祝うというだけではなく、キリストに向き合い、自分の心にキリストを迎える部屋を用意しなければなりません。
いつの間にか、悩み事や心配事でいっぱいになっていたり、目の前のしなければならないことで手いっぱいで心を神に向ける余裕がない状態になっていないでしょうか。イライラや不満が心を支配してはいませんか。人を責める心になっていませんか。もし思い当たることがあるとするなら、イエスが誕生されたときの宿屋と同じ状態に陥っているかもしれません。
クリスマスを迎える心、それはまず心を静めて、神に心を向けることです。何が自分の心を支配しているかを見つめてみましょう。自分で取り除けられないような様々な問題があることを認識したなら、それをそのままイエスに告白をいたしましょう。イエスは私たちの心のそばに立っておられるのです。そして心の戸を叩いておられる。イエスは私たちの心を一新されるためにこのクリスマスに私たちのところに来てくださっていることを深く心に覚え祈るものとさせていただきましょう。

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