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NO.379 2015.11.22

 「頑固な汚れを落とす

 

神のことばと祈りとによって、聖められるからです。(Ⅰテモテ4:5)

 

今年もあと一ケ月半となりました。年末が迫ってくると掃除に関する話題が出るようになります。決まって取り上げられるのが頑固な汚れをいかに取るかということです。普段あまり掃除をしない換気扇やレンジフード、エアコンなどは汚れを落とすのに苦労します。これを使えば、簡単に汚れが落ちるといった洗剤販売を目的としたテレビショッピングもあります。
しかし、一般的で誰でもできる掃除方法は、洗剤や重曹の入った水に数時間つけて置く。あるいは洗剤を噴霧してごみ袋に入れてある程度の時間置いておくといったものです。それは時間をかけて汚れを浮かび上がらせるということなのです。頑固な汚れも、洗剤の溶液に浸っている間に汚れが剥げてきて、浮き上がってくるのです。そうすると意外と簡単に汚れが落ちるのです。無理に急いで剥ぎ落とそうとゴシゴシ強くこするほど、器具に傷がついたり、手も痛くなったりするのです。「時間をかけて汚れを浮かび上がらせる。」これがポイントなのです。
私たちの信仰の歩みについても同様のことが言えます。私たちは神の愛を受け、十字架の血潮によって、罪が赦され救われました。救われたという事実は変わりません。しかし、神の救いが全人格、全領域に及ぶために、私たちの心の中にこびりついている頑固な汚れを取り除くことに取り組まなければならないのです。別の言い方をすればそれが神の人として聖められていく過程であるということになります。
今までは意識しなかったのですが、聖霊の取り扱い受けるようになると、自分の中の罪の深さや心の傷をあらためて見出すようになるのです。祈ってすぐに勝利できるものもあるでしょう。しかしそれはまだ簡単な問題です。
しかし、少しの祈りや自分の努力ではどうにもならない根深い問題もあるのです。心の深いところに要塞のように固く強く根付いてしまっている心の闇が存在していてそれが私たちの成長を阻むのです。それこそが、私たちにこびりついた頑固な汚れということです。
無理に剥ぎ取ろうとすると傷ついてしまいます。それを取り除くには、聖霊の水の中に自らをじっくりと浸すことです。聖霊の力により、私たちの汚れが浮き上がってくるイメージで描いてみてください。その中にある、怒りや恨み、嫉妬や妬み、痛みや傷、ゆがんだ良心や欲望。私たちの健全な成長を妨げる様々な心の闇を聖霊の光の下に照らしていただき、汚れを浮き上がらせていただきましょう。慌てず、あきらめず、じっくりと取り組むことが肝要です。聖霊を慕い求めようではありませんか。
更に、み言葉と祈りに自らを浸しましょう。み言葉と祈りは、汚れを浮き上がらせ、次第に遊離させ、離れていくようにさせるのです。キリストは私たちをご自身のみ姿へと変革したいと願っておられます。み言葉と祈りによって励まされ、癒され、聖められ、強められていくことを求めてまいりましょう。
具体的には教会の礼拝や祈り会に積極的に参加することです。孤立して、自分の殻に閉じこもらないことです。積極的にファミリーセルに参加し、礼拝も集中してみ言葉を受け取りましょう。水曜日の祈り会にもチャレンジしていきましょう。触れるものに人は似ていきます。信仰的雰囲気を大切にしていきましょう。その中で神の取り扱いは進んでいるのです。

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