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NO.365 2015.08.16

 「愛は決してあきらめない

 

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(Ⅰコリント13:7)

 

先週、13,14日と私たちが属する日本福音宣教会の全国聖会が愛媛の今治で開催されました。今治はしまなみ海道とタオル、造船の町で有名ですが、静かな田舎の町で熱く聖霊に燃やされる二日間を過ごすことができました。特に今回は講師に日本で最大の教会、大和カルバリチャペルの主任牧師である大川従道先生を迎え、その豊富な牧会経験と信仰生活から様々な証しやエピソード、ユーモアを交えながら「愛は決してあきらめない」をテーマに語ってくださいました。
特に「愛の書」として有名なコリント前書13章のすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」というみことばの解き明かしに愛の本質を再認識されました。最初の「がまんし」という言葉は「相手の欠点をカバーする」あるいは「穴をふさぐ」という意味があり、最後の「耐え忍び」は「へりくだって下から支える」という意味だそうです。ですから愛するとは「相手の欠点をカバーし、下から支えること」であると語られました。
先生の口癖はヨハネ福音書3章8節の「風はその思いのままに(好むままに)吹き」というイエスの言葉から、「聖霊に好まれる者になる」ということです。聖霊なる神様にも好みがある。聖霊様に好まれる牧会者になろうと決意されたそうです。特に示されたことは「牧師は信徒を裁かない。信徒も牧師を裁かない。信徒は他の信徒を裁かない。」そして「相手の欠点をカバーし、下から支える」ようにしようということでした。ある夕拝でそのことを宣言し、以来ずっと教会員と共に実践してこられたそうです。
すると驚くべきことに、教会はそこから大きく成長するようになり、日曜日には人が教会にあふれるようになり、赴任当初27名の教会から現在1200を超える教会にまで成長をしてこられました。
成長する教会は何か特徴があります。人が駆け寄ってくるような教会。そんな教会を大川先生も目指してこられたそうです。それは人を裁かない。どんな人でも受け入れることのできる愛にあふれた教会。そのような教会を目指して現在の教会があるとのことでした。
私たちの教会も「キリストの愛を全世界に解き放つ」ということをモットーにしていますが、具体的に何を実践していけばよいか、今回の聖会において改めて示された思いがいたしました。私たちも聖霊に好まれる教会に更になりたいと願います。神様が願っておられることは何かを敏感に受け取って実践していきたいと思います。
特に愛し合う教会を目指しましょう。愛し合う教会とは、裁きあわないで、お互いが「相手の欠点をカバーし、下から支える」ような教会です。互いに自戒の意味も込めて、「牧師は信徒を裁かない。信徒も牧師を裁かない。信徒は他の信徒を裁かない。」ということを実践していこうではありませんか。
誰かの欠点や不足を見たら、それをカバーしましょう。穴だらけなのを見たら、自分がどのようにその穴をふさげるか祈るものとなりたいと思います。相手の欠点を指摘することは簡単です。しかしそれでは愛することにはなりません。誰かが困難や試練で苦しんでいたら、そばによって祈って差し上げるものになりましょう。見えないところで、下からその人を支えて差し上げましょう。キリストがそうされたようにわたしたちも互いに愛し合い、仕えあう者になりたいと思います。「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」そのような者に変えられたいと心から願います。

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