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NO.358 2015.06.28

 「人生ジグゾーパズル

 

私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。

なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。

(Ⅰコリント15:9-10))

 

以前、子供がジグゾーパズルにはまったことがありました。慣れてくるとサイズもだんだん大きくなり、1000ピース、2000ピースのものとなっていきました。さすがに大きいものとなると完成までに時間がかかります。一見同じように見えていても合わなかったり、モノトーンのところはわかりにくかったりと、苦労します。私も手伝ったのですが、根気のいる作業に途中で投げ出してしまいました。
やがて、何日かかけて完成が間近になったとき、どうしても二個ほどピースが足りないのです。どこかベットの下か机の下に落ちてしまったのでしょう。探してもどうしても見つからないので、販売会社に連絡すると紛失したピースを有料で送ってくれました。送られたピースをはめ込むと完成です。子供も、時間がかかって苦労した分、やり遂げた達成感で本当にうれしそうでした。
私たちの人生もこのジグゾーパズルによく譬えらえます。私たちは言わば、神様が下さっている素晴しい人生のジグゾーパズルの完成を目指して歩んでいるといえるのです。もちろんまだ、人生が完成しているわけではありませんからその作業の途中です。時には人生は複雑で埋めるのに時間がかかります。
なかには自分の過去の部分が空白になったままで埋められていない個所や、あるいはピースが見つからないでほったらかしになっている個所もあるでしょう。無理に埋め込もうとして、角が取れてしまったピースもあるかもしれません。ピースを紛失してしまい見つからないで、未完成のまま放置されているものもあるでしょう。また、人生の完成されたパズル全体の絵がわからずバラバラのままになっているものもあるかもしれません。
しかし、神様を見上げることで、神様からの助けを受けることができるのです。神が私たちのために用意しておられる神の計画と導きがあるのです。全体はまだ見えないかもしれませんが、わかる所からピースをくっつけていくのです。祈りながら、空白部分を埋めるのです。あまりに混乱してどのように整理すればよいかわからないところは、静かに神に問いながら、キリストの光を当てていただきましょう。少しずつ見えてくるようになります。聖霊なる神様も助けてくださいます。
パウロという人も自己流の人生のパズルの完成を目指していました。しかし、キリストに出会うことで、今までの生き方ではどうしても埋めきれない人生があることに気づかされます。砕かれていく中で、自分が描いたものではなく、神が持っておられる人生があることを知るようになるのです。人生の行き詰まりも、神の伝道者として用いられるために必要であったこと。神に頼って生きる人生の確かさに目覚めていくようになるのでした。
どうか、あなたに与えられた人生のパズルに根気よく取り組んでください。空白部分は神に聞いてみましょう。新しいピースを見つけることができるかもしれません。混乱しているところは神の介在によって癒されることも必要です。人生パズルの完成目指しての一歩を踏み出していこうではありませんか。

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