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NO.150  2011.07.03

「成長を望まれる神」

 

私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。
それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。(コロサイ1:28)

 

先日、教会員の稲垣兄弟姉妹に与えられたご長男の開渡(かいと)くんの幼児祝福式を行ないました。最初の子供さんですし、ご家族にとっても大きな祝福です。祝福式を通して開渡くんのますますの成長を祈らされたことでした。
 親御さんにとってはどれほどの喜びでしょうか。指を握ってくれると指を握ったといって喜び、笑うと笑ったといって喜ぶ。まさに赤ちゃんの一挙手一投足が新鮮で喜びです。ハイハイをするようになるとハイハイをするようになったとその成長を喜ぶのです。ちょっとした変化や成長が気になり喜びになる。それが親子の絆でもあります。この子どものためには何でもしてあげたいと思うほどのいとおしさを感じるのです。
 子どもの成長が親の喜びであるように、神様も私達が育ち、成長することをどんなにか喜ばれることでしょうか。神様は私達がその子どもに願うように、私たちが成長し、子どもから青年へそして成人へと成長することを願っておられるのです。
 パウロがコロサイ人の手紙の中で、どれほど自分の牧会生活の中で人々の成長のために腐心しているか語っています。パウロは調度、父が子に願うように、母が子に願うように、救われた人が成長する事を願い、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教え」たのでした。それは全ての人がキリストにある成人」となることを願ったからでした。
 神様は私たちが成長を目指して歩んでいる姿を心から喜ばれるのです。親が子どもに対してそうであるように、神様は私たちの少しの変化を気遣い、私たちの格闘している姿を応援し、必要な助けを与えてくださるのです。そうして成長を後押ししてくださるのです。天の父なる神様は私達の霊的な親なのです。
ですから私たちも成長することを心から願いましょう。成長のための努力を惜しまないようにいたしましょう。人生の豊かな成果は決して偶然にやってくるものではないのです。宝くじが当るような感覚で人生を捉えるのは止めにいたしましょう。
それよりも、今日の一歩、今日の祈り、今日の御言葉、今日の行動、今日の汗、今日の賛美、今日の励まし、今日の労苦、を大切にしたいと思います。成長は今日から始まるのです。
人はどんなに脳を使っても全体の5%くらいしか使っていないと言われています。と言うことは私たちには可能性が豊にあるのです。神は無限の可能性を私たちに与えてくださっているのです。その神を信じ、神を見上げて歩むならば主が豊に祝福してくださいます。
私たちが成長する目的は私たちに与えられている神の使命を果たすことなのです。私たちが成長することで、この社会で光となり塩となって使命を果たしていくことを願っておられるのです。あなたにしかできない役割を担うために、あなたの成長を一番願い、喜ばれるお方こそ神様なのです。

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