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NO.145  2011.05.29

「良い習慣を身につけよう」

 

互いに偽りを言ってはいけません。
あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。
新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。
  (コロサイ人への手紙2:9-10)

 

あなたが朝起きて先ずすることは何でしょうか。すぐにテレビのスイッチを入れるという人。新聞をポストから取って新聞を読むというひともいます。最近の人に多いのですが先ず朝シャワーを浴びるという人もいるでしょう。時間ぎりぎりまで寝ていて目覚ましと共に起き上がり、慌てて洗面を済ませて服を着替えて、会社に出て行くという人もいるでしょう。大体どの人も毎日同じような動きをするのではないでしょうか。みんな自分の生活のパターンを持っていてそれに従って無意識に動いていることが多いのです。私達は習慣によって動いているのです。
教会に来られる兄弟姉妹も、大体座る席が決まっています。場所を変えると何か落ち着かないのです。教会に必ず30分前に来るという人もいれば、賛美の途中で駆け込んでくるというパターンの人もいます。大体、メッセージが始まる頃に来るという人もいます。皆それぞれの生活習慣に従って生きているのです。
誰しも成長することを願っていない人はいません。みんな成長したいのです。しかし、成長するということは良い習慣を身につけることなので、なかなかその習慣が身につかないのです。かえって悪い習慣はすぐに身についてしまいます。聖書は「古い人をその行いと一緒に脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。」と語ります。ここに出てくる「その行いと一緒に」とは「古い習慣と一緒に」と訳すことが出来るのです。神を信じるまでに身についていた古い習慣、それを脱ぎ捨てることを求めているのです。これは一朝一夕には出来ません。変化には時間と労力が必要なのです。
神を信じて朝目が覚めたら、全てが変っていた。ならいいのですが、そうはいきません。もちろん変ったことがあります。それはキリストを信じたことにより、キリストが心の内に住んでくださり、新しく生まれ変わったという事実です。しかし、生活の習慣が全部変ってしまったわけではありません。生活習慣はこれから変えていくのです。もちろん神様が助けてくださり、導いて下さいます。しかし、肝心の自分が変りたいと願い、それに向かって一歩踏み出していくことが求められるのです。
今まで教会に行く習慣もなかったのです。日曜日はずっと寝ていたという人もいます。その人が朝起きて教会に行く。それも大きな習慣の変化です。それが習慣化するまでにしばらくの時間がかかります。また、祈りもしたことのなかった人が祈りを習得するのです。神様との交わりを楽しみ、祈れるようになるためには祈りたくないと言う思いを乗り越えて祈りを継続しながら身につけていくのです。活字離れが進んでいると言われていますが、テレビやネットに慣れていた人が、聖書を開いて読むのです。テレビを消し、好きなことも止め、先ず聖書を読む。そこに宝を見いだしていくようになるとどんどん勢いがついてくるのです。
  聖書を読み、神の語りかけを聞く。私達はディボーションと呼びますが、聖書を通して神と交わる習慣を身につけようではありませんか。新しい人、すなわちキリストにある生まれ変わった自分となったのです。それにふさわしく、神の御言葉に聞き、御言葉にある生き方を生活化していくようにしようではありませんか。どうか自分の人生にチャレンジしてみて下さい。弟子(disciple)とは訓練(dicipline)を通して神の弟子としての生活を身につけていくことなのです。

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