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NO.143  2011.05.15

「世界宣教ビジョン」

 

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 
(マタイの福音書28:18-20)

 

復活されたイエスが昇天される前に残された言葉です。言わばこの地上でのイエスの最後の言葉であり、私たちに託された遺言とも言えるものです。それは大宣教命令と言われるもので、言い換えれば世界宣教命令でもあります。イエスが信じる者達に託された使命であり、担っていくべきビジョンです。
この使命は、してもしなくてもよいものではなく、しなければならないイエスの至上命令でもあります。イエスはこの命令を告げるにあたって、ご自身の権威を明確にしておられます。すなわち、「天においても、地においても、いっさいの権威を与えられている」お方がイエスであり、そのイエスが全権威を持って私たちに出て行ってあらゆる国の人々を弟子とせよと語っておられるのです。そこには神の御意志が明確にされており、神の強く熱い願いがあることを覚えなければなりません。なぜなら、イエスも「失われた人を探し出して救うために来た」(ルカ19:10)からです。それがイエスの来られた目的なのです。
更にイエスを通して完成された救いを、今度は私たちがイエスからバトンを受け取って世界に述べ伝えていくのです。私達はこの使命を自分の人生の使命とすることが求められています。
私達が信仰に導かれたきっかけや動機は千差万別です。ある人は人生の困難な中で、ある人は人間関係の葛藤の中で、ある人は人生の目的がわからなくなったときに、またある人は病の中で、ある人は人生の岐路に立たされた時に、神は私たちに出会って下さったのです。しかし、神が私達に出会って下さった目的はそれでは終わりません。それは始りなのです。そこから私達は神の御心のために立てられ、同じようにキリストに出会っていない人達をキリストに導く為に出て行くのです。ある人は職場に、ある人は自分の住んでいる地域に、ある人は友人たちの中に出て行くのです。
今、日本は未曾有の震災を経験し、復興の途上にありますが、今この時、私達が生かされている意味をもう一度考えてみなければなりません。私達は今こそ目覚めてこの宣教ビジョンを自分のこととして受け止めなければならないのです。この震災で沢山の人達がイエスを知らないで亡くなられましたが、一番心を痛めておられるお方はキリストご自身ではないでしょうか。
宣教はある特定の賜物を持っている人や、宣教師や牧師がするのではないのです。神は救われたみんな一人一人がこの使命の目覚めることを願っておられるのです。ですから、イエスは「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と言われたのです。この世界宣教ビジョンは弟子化ビジョンとも言えます。皆が弟子になって出て行かなければ、教会はやがては衰退してしまうでしょう。増殖し続け、次々と新しい弟子が起こされていくことが急務なのです。人生は1度だけです。今こそ私達が主の弟子となって出て行こうではありませんか。そのために、喜んで養育され、訓練されようではありませんか。

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