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NO.133  2011.03.06

「祝福の足場を築こう」

 

立って、父のところに行って、こう言おう。
「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」
(ルカの福音書15:18 )

 

先週、世間を騒がせていた京都大学の入試カンニング事件は、予備校生の逮捕で一件落着しました。
しかし、このことが大学当局に投げかけた衝撃は大きかったようです。今の若者にとって携帯は生活の一部ですしブラインドタッチでもメールを打てる若者がいるほどです。ところが、大学の入試管理体制は昔のままで、今回の事は想定外のことでした。
 本人もここまで事態が大きくなるとは思っても見なかったでしょう。何とか念願の大学に入学したいという思いと、合格点が足りないという焦り、携帯を通して簡単に回答してくれる仕組み利用したいという欲求に負けてしまいました。1度うまくいくと、味をしめてしまう。こんな事をしてはいけないという思いが心のどこかにあったても強い誘惑に勝つことはできなかったのです。
 何度か立ち止まるチャンスはあったと思いますが、発覚しなかったため、正しい道に戻るきっかけを失ってしまったのです。「深く反省をしています」とは彼の言葉ですが、結局志望する大学に入れないばかりか、犯罪者のレッテルを背負うことになってしまいました。でも未だ人生終わったわけではありませんから、これを大きな反省と教訓として、人生をやり直して欲しいものです。
 では私たちはどうでしょうか。確かに、彼と同じ誘惑ではないかも知れませんが、日々様々な誘惑に会うのです。人はみんな弱点がありますが、その弱点を突かれるのです。だから誘惑なのです。それらの背後には私たちを誘惑する闇の支配者サタンが存在していることを忘れてはなりません。
サタンは私たちを誘惑し、心の中に深く進入する足場を作ることをねらってきます。私たちは、それを断固阻止し、反対に祝福の足場を心にしっかりと築いてしまうことが大切です。
放蕩息子は、身を持ち崩したときに本心に立ち帰りました。自らの罪を認めて、神と父に告白する決意をするのでした。そうして生きる方向性を変えて父の元へ帰って行きます。この砕かれた心、これこそが私たちの祝福の足場の第一歩です。言い訳をしたりせず、素直に神の前に出て、告白し祈る。神は砕かれた悔いた心を決して軽んじられません。
次には、父の元に返った息子のように、天の父なる神様との交わりを回復するのです。回復していると思っていても、心は燃えず、さめていると言うことはないでしょうか。礼拝が義務的になり、形式的なマンネリズムに陥ってはいないでしょうか。神様はあなたの心を愛で満たしてくださいます。愛で満たされると喜びが溢れ、感謝が溢れ、情熱が回復されてきます。心が燃えると前進する力がわいてきます。主イエスとの交わりを回復し豊かな祝福の中に前進していこうではありませんか。
「鳥があなたの頭の上を飛ぶことをやめさせることは出来ないが、あなたの頭に巣を作とうとする鳥は追い払うことが出来る。」ある牧師の言葉を思い出します。サタンの誘惑は避けられません。しかし、その誘惑に捕われることがないように神にしっかりと結びつき絶えず主イエスにより頼む者となりましょう。あなたとイエスキリストとの愛の絆の強さにサタンは足場を作ることは出来ないのです。

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