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NO.125  2011.01.09

「志願する者はいないか?」

 

私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、 言った。
「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8 )

 

2011年が始り一週間が過ぎようとしています。愛する兄弟姉妹も、普段の生活に戻られておられる事でしょう。私は5日から7日まで「二つの翼・養育訓練の第4回集中訓練「弟子の生活」」の学びをしてきました。
この二つの翼の養育訓練とは、健康な教会を形成するための弟子養育訓練のことで、全部で6課の学びから成り立っています。何故二つの翼というかと言えば、鳥が飛び立つためには二つの翼が必要なように、教会も健康的で豊かに成長し飛び立つためには二つの翼が必要である。と言うところから来ています。一つの翼だけではぐるぐると回ってしまいなかなか飛び立つことが出来ません。この養育弟子訓練では、飛び立つための二つの翼を備える働きを意味いたします。
その二つの翼の一つは、「教会を中心に聖徒たちが集まり捧げる礼拝」のことであり、もう一方の翼は「聖徒たちが互いの関係を通して伝道し、仕え、建て上げていく小グループ運動」を意味いたします。
前者の翼、すなわち、教会を中心とした礼拝は従来通り大切なものです。多くの教会が重きを置いてきました。しかし一方で、教職者中心で、聖徒(信徒)の兄弟姉妹が十二分に生かされて用いられていなかった現状があります。兄弟姉妹達がキリストの福音の中心を担い、生き生きと関係を通して伝道していく。そのために養育され訓練されていくならば、教会全体がキリストの体として機能し成長していくようになるのです。知っていることと、実践していることとは全く違います。この養育システムは単なるプログラムではなく、伝道、新家族、養育、弟子、再生産、と言う流れで兄弟姉妹が整えられ訓練されていくプロセスです。
中には今まで学んでこられた内容も多分に含まれていることに気づかれる兄弟姉妹もおられるでしょう。しかしそれらが統合され、プロセスとして流れていかなければなりません。一人一人が小グループの現場で主を体験し、癒しや救いの業が起こっていく。そのようなことが起こればどれほど素晴らしいでしょうか。そのためには、訓練が必要です。赤ちゃんがお母さんからお乳を飲ませてもらい、やがて離乳食から堅い食べ物となる。親の保護と養育の元から一人前になって飛び立っていくように、私たちもキリスト者として成長させていただきたいと思います。

 

私はこれから何年かかけて、本腰を入れて弟子養育に邁進したいと強く決意しています。試行錯誤を繰り返すでしょう。でも、神が願われるような健康的な教会を建て上げたいと祈らされています。
私たちはイエス様を信じたのです。であるならその信仰のダイナミックな御業を日々の中で経験したいと思われませんか。自分の願望の達成が信仰ではありません。それをはるかに凌駕し、私たちを救われた神の目的と使命に向かって大きく羽ばたいていく。そのような者にさせていただこうではありませんか。
神は今も、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と声をかけておられるのです。イザヤはそれに対して志願をしました。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と。
あなたにもこの神の声が聞こえないでしょうか?人生は短いのです。主のために成したことだけが残ります。一緒に日本の宣教ビジョンに向かって歩んでいきませんか?日本のリバイバルは先ず志願し、応答する人達の祈りと献身から始まるのです。

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