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NO.122  2010.12.19

「インマヌエルの神(神共にいます)」

 

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイの福音書1:23 )

 

12年連続自殺者が3万人を超えると言われています。最近の傾向として若者、特に大学生の自殺者が増えていると言われています。その理由として考えられることは若者の孤独死だそうです。地方から都市の大学に入学したものの、なかなか友だちができない。またどのようにして友だちを作って良いかも解らない。いつの間にか一人で下宿先で過ごすようになってしまい、その孤独に耐えられなくなってしまうのではないかと言われています。
しかし、考えてみれば「関係の希薄化」は若者だけではなく私たち現代人みんなに共通していることではないでしょうか。老人の孤独死も問題になっています。昔のように隣から醤油や塩を気軽に借りて来れたような結びつきもなくなりました。ましてマンションであれば隣にいる人が誰であるかも解りません。
煩わしくて関係を築くことに疲れを覚える人もいます。関係が築けないで鬱になる人もいます。家族簡のコミュニケーションも希薄化しています。一人一人が携帯を所有しているために、子どもを食事に呼んだりするのにも携帯で呼んでしまう有様です。隣にいるにもかかわらず、互いのやりとりをメールでするという人もいるとも聞きました。
もうブームが去りましたが、芸人が「そんなの関係ない。そんなの関係ない。」と言って皆を笑わせましたが、現代の世相をそのまま表している言葉ではなかったでしょうか。
神は「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創世記1:18) といわれてアダムにエバを造られたように、人類のはじめから、人は関係の中に生きるように造られているのです。ですから人が孤独に耐えられないのは当然のことなのです。

 

イエスキリストはこのクリスマスに「インマヌエルの神」として生まれて下さいました。神が私たちと共におられるというインマヌエルの意味を深く心に刻みたいと思います。単なる言葉ではなく、私たちにとって現実の事実として体験させていただきたいと心から願います。
罪を犯して神から離れてしまった私たちを救うために来られたイエスは、同時にいつまでも共におられるインマヌエルの神として来られたのです。
どんなときも決して私たちを見捨てず、いつもそばにいて助けて下さるお方。私たちの人生を導いて下さり、正しい道にガイドして下さるお方。あるがままで私たちを受け止め、愛の対象としていつも愛していて下さるお方。私たちと交わることを特に喜ばれ楽しまれるお方。そのお方こそがイエスキリストなのです。このお方との交わりが深まり、関係が豊かなものとなるとき、わたしたちは孤独から解放され、周りの人たちとの関係も回復してくるのです。

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