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NO.120  2010.12.05

「囚われからの解放」

 

主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。(詩篇126:1 )

 

ミャンマー(ビルマ)の民主化運動の指導者で国民から高い支持を得ていたウン・サン・スー・チーさん(65)が先月、自宅軟禁から解放されました。軍事政権によって1990年以降、合わせて15年間もの長きにわたって自宅に軟禁状態にあったのです。それでも、その間にノーベル平和賞を受賞するなど、軟禁されていても国際的にもその活動が評価されてきました。今回の解放を多くの支持者が熱狂的に歓迎し、彼女の解放を喜びました。長い拘束期間であったからこそ、その喜びもひとしおであったに違いありません。
未だミャンマーの民主化の道は厳しいかも知れません。でもその困難を乗り越えて民主化が進んで欲しいと願うものです。ミャンマーの人達にとって、悲願の民主化がなったときこそ真の歓喜が訪れる時です。それを夢見ながら、いばらの道を勇気を持って前進して欲しいと祈るものです。
イスラエルの歴史を聖書から見るとき、それもまた捕われとそこからの解放の歴史であることがわかります。イスラエル民族の土台となったエジプトからの解放。また、バビロニア捕囚からの解放と国の再建。これらの歴史の中で、イスラエルの人達は神への信仰に目覚めていきました。
この詩篇126篇はバビロン捕囚から解放され、故郷のエルサレムに帰ったときの思いを歌った歌だと言われています。 「主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。」と言う表現は解放された人達の心情を的確に表現しています。おそらくバビロンでの捕らわれ人の生活は困難と屈辱の日々であったに違いありません。遠く故郷を離れ、愛する人達から引き裂かれ、痛みと悲しみを経験していたことでしょう。しかし、神は彼らの祈りと望みの忍耐を覚えてくださり、やがて解放されて国に帰国することが出来たのです。近づく故郷の山々、野の花々、懐かしい町並み、どれもが思い描いていたことが現実になって目前に展開している。まさに夢心地でその風景に茫然と見とれてしまっている。そのような姿が描かれているようです。今までの苦労がいっぺんにかき消されるかのように、信じられないことが現実となった。まさに神の憐れみと恵みの業そのものを実体験したのでした。
私たちが迎えようとしているクリスマスも、私たちにとって捕われからの解放の時であることを覚えたいと思います。イエスは捕らわれ人である私たちを解放するために天の御座を降りて私たちの所に来てくださったのです。
あなたはどのような事に捕われているでしょうか。確かに肉体は束縛を受けてはいないかも知れません。生活のゆとりや物質的な満たしもあるでしょう。しかしあなたの心は解き放たれているでしょうか。長年,あなたを縛って自由にさせない心の苦しみはないでしょうか。キリストはその捕われと苦しみからあなたを解放するために来られたのです。
  身近に迫る故郷の風景を夢心地で見たイスラエル人のように、私たちもキリストの命で解放されるとき、夢心地で自分に起こった変革を見る事が出来るのです。このようなことはかつて経験したことがないと思われる解放と自由をこのクリスマスにイエスを通して手にする者とさせていただきましょう。

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